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愛する技術

これまでnoteでは
その時その時思ったことを書いてきたけど
私が1番書きたいテーマとは、

それは「愛」についてだった。

ただ、愛について書いたって
何になるんだ?と思っていて、
めんどうくさいな〜
無駄だと思っていたし、

そもそも、愛という言葉が抽象的で
とてもふわふわしているもの。

抽象的な表現が苦手だ。

ブラジル人家族に育てられた私は、
毎日親にキスすることが習慣で
今でも電話を切る前に「愛してる」と
母親に言わないと怒られる。。w

それがあんまり好きじゃない。。

そんなこともありw
愛してる状態って、いったい何だ?と
子どもの頃から不思議だった。

それに、「愛とは?」という問いに対して
これまで多くの学者や宗教家が考えてきたが
はっきりとした答えは未だに存在しない。

そもそも愛の正体なんてあるかわからないし
これはいくら考えても
はっきりとした結論は出ないでしょう。

だから、そもそも愛とは何か?を考えるのは
そこまで意味ないと思うんだ。

ただ、ここ半年間、
いろんなことを考えたり、
いろんな悩みや壁にぶつかる中、
すべての悩みはアドラーが言うように
対人関係であるということを
実感した場面がいくつかあって、

対人関係には、いろんな悩みが存在するが、
最終的にたどり着く場所は、
愛されたいということだった。

理解されたい。
好かれたい。
認められたい。

だいたい、ここにたどり着く。

人はひたすら愛されたい。

そして、愛されるにはどうしたらいいのか?
これが最も興味関心のあること。

ただ、愛されたい者同士が結ばれても、
どっちかが愛するということをしなければ、
永遠と愛される人は存在しないことになる。

エーリッヒ・フロムの本、
「愛するということ」の中に、
愛について次のように書かれていた。

愛とは技術である。
技術であるのなら、知力と努力が必要。

愛されることばっかりを考えていると
愛するということを忘れてしまう。

そもそも、愛という技術であるということ
どのように人を愛せばいいのかということ
誰も教えてくれなかったし、学んでこなかった。

愛というものを技術として
捉えたこともなかった。

恋愛においても、
恋は落ちるもの。
愛は自然と芽生える感情。
そう考えるほうが自然。

ただ、恋はいつか終わるし、
愛は自然と芽生える感情ではなく
育てるものではないかと思う。

パートナーシップでは、
恋が終わったときに
その愛を育てきたかどうかで
そのカップルの運命が決まると思う。

でも世の中には
恋愛テクニックだったり、
結婚生活の秘訣!だったり、
パートナーシップについて
いろんな情報が転がっているが、
正直、意味ない情報が多すぎる。

表面的なテクニックは意味ないし、
それにそのほとんどが、
結局、どう愛されるか?であり、
どう愛するかではない。

人生において、最も学ぶべき技術は
愛するということだと思う。

そして、技術ならば、
それを学習することはできる。

究極、これが世界平和の鍵だし、
幸せになる秘訣ではないかと思った。

もちろん、これはすべて仮説みたいなもので、
私は何もわかってない。

だからこそ、このシンプルかつ難題なことに
向き合ってみようかなと思った。

それは愛の正体を言語化するためではなく
愛をどう表現するかを知り、実践するため。

明日から役に立つ
能動的で実践的な愛に関心がある。

これこそ、学ぶべきことではないかなと
なんとなく思った。

そう思うようになった理由はいろいろある。

終わってしまった8年間の結婚生活を
振り返ったとき。

私は愛されることばっかり考えて、
愛するということをしなかった。

今も親や兄弟、友だちを愛せてるかどうかも
正直、わからないけど、

でも、特に結婚する前に
知らなかったことばっかりで
知りたかったことがたくさんあった。

最初に書いたように私が大好きな
アドラー心理学では、
すべての悩みは対人関係の悩みであると
考えるが、さらに言われているのは、

すべての喜びもまた、対人関係の喜びである

つまり、対人関係を充実させることが
幸せにつながることであり、
そのためには、愛する技術が必要だと思った。

あとはシンプルにこういうテーマを考えるのが
趣味と言ってもいいレベルに楽しい。

時々、閃いたらここに書いていこうと思う。

最後まで読んでくれて
ありがとうございます。

またねー!

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