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運命的な出会いより大切なもの

『アイネクライネナハトムジーク』という
映画を観た。

三浦春馬さん主演のこの映画です。

この映画の中で、ある人が言うんです。
劇的で運命的な出会いは
まったく意味ないことだと。

どう出会うかは関係ない。
それより大事なのは、

あの時、あの場所で、
出会ったのが君で本当によかった。

そう思えることのほうが、
運命的な出会いよりも
ずっと大切なことらしい。

例えば、ある日財布を落としたとする。
後ろを歩いてた人がそれを拾って、
それがきっかけで、
2人は恋に落ちて、結婚します。

これって、なんだか
素敵でドラマチックで
運命的な出会いだよね。

映画の中で、この例え話が
実際に出てくるのだけど、

ここで、人は考える。

あのとき、君が後ろを歩いてなかったら
運命の人に出会ってなかったかもしれないと。

ちょっと心あたりある。

偶然と偶然が重なり、
わたしたちは出会ったのだ。

そう感じたことは
わたしにもある。

だけど、

それがね、違うんだって。

もし、君じゃなくて
別の人が後ろを歩いてたら、
きっとその人と結婚してただろうって。
映画の中でそう言われていた。

たしかに。
一理あると思った。

映画みたいな
ドラマチックな出会い
ロマンチックなプロポーズ
確かに、憧れる。

普通に出会ってしまった人が
運命の人って感じしないし、
運命の人なら、何もかもぴったりハマるはず。

そう思ってしまう。

まぁ、そもそも
運命の人とは?って話ですけど、
そこは1回置いておこうw

要は、

あの時、あの場所で、
出会えたのが君で本当によかった。

何年か経って、
そう思えることのほうが、
理想な出会いより、大切で、
ずっと難しいことではないか
そう思った。

ドラマ「逃げ恥」で
みくりのお母さんが言ってたように
「運命の人は努力して自分がつくるもの」
これは本当にそうだと思っていて、

でも、気がづくと、
運命とか、そういう自分が変えられないものに
委ねてしまいたくなるもの。

この人と別れてしまったのは、
きっと星のせいw

そう思いたいw

わたしは、ホロスコープとか
占い結構好きなんです。

結構いろいろ読むし、参考にするし、
占い師の友人の話が好きで、
それに救われたこともある。

でも、それに捉われることはしない。
占いに限らず、すべての学問、
誰かの助言とかも参考になるけど、
結局、最後は自分の意思でしかない。

科学は確かである。
そう言う人もいるけど、
本当にそうでしょうか。

それは人間が知っていると思っている
範囲内のことでしかなくて、
人間の歴史を通してみたとき、
新しい発明はいつも古い常識を
塗り替えてきた。

今科学で証明されていることだって、
いつ塗り替えられるかわからない。

つまり、確かなことはない。
これだけが確かなことかもしれない。

そうだから、
人は、自分が信じたい現実を生きている。

科学を信じたい人
神様を信じたい人
スピリチュアルを信じたい人

わたしは人に好かれている
わたしは人に嫌われている

人生は楽しい
人生はつまらない

わたしが辛いのはあの人のせい
過去のせい

こういう思考もまたすべて
自分が信じている世界

そこには確かな事実はない。

自分の意思が1番正当化されるものを
選んで、それを信じているのです。

わたしも、もちろん例外ではない。

あるときは神様にお願いして
あるときは占いを信じて、
あるときは科学を根拠にしている。

自分の意思であるというのは、
自由で聞こえはいいけど
一方では、すべてが、
自分の責任であるということでもある。

これは、時には
ものすごく厳しいことだ。

だから、たぶんこれからも、
わたしは、その時その時、
自分の都合のいいように
物事を解釈していくと思う。

なぜ、運命の人から
この話になったかは、
自分でも不思議だ。

タイトル変えたほうがいいかもしれないが、
そのままにしておく。

とりあえず、運命に委ねるより
運命を自分の手で選んでると思うほうが、
なんだか、幸せになれる気がした。

ちなみに、冒頭に書いた
映画で出てくる財布を落とした例え話、
映画の最後、素敵なオチがあるの。

よかったら見てください。

Karo

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