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省略の重要性について考える。 - "最後"の学芸員スクーリング日誌①

 学芸員に関する、三日間のスクーリングが終了し、不合格とかそういうことにならない限りは基本的にはこれでおしまい。レポートは全て合格しているので、あとは数本のテストのみである。楽しくもあり、課題も多分にありという感じだが、雑多な感じでもとりあえず振り返っておきたい。

 まず初日は上野で2件の美術館訪問。このアカウントやInstagramでも書いている通り、昼休みには「永遠の都ローマ展」(東京都美術館)にも出かけた。

お昼ごはんは屋台村で焼きそばを。

 タイマーをセットし、時間スレスレまでいたので、食事休憩に使った30分を除き、実に6時間近い時間、美術館にいたということになる。最近行けてなかった国立西洋美術館の常設展示室に行くこともできたし、大学の授業を超えて充実した時間であったことには違いないと思う。

 ただしその分、大学での授業・グループワークが中心となる2日目以降は大変だった。前日の疲労はもちろんのこと、少しきつめの腰痛、さらには疲労度に即さない睡眠時間の短さなどもあり、外を歩き、信号待ちで立っているだけでもストレスフルな状況。そういうストレスが元々強くない胃腸にも悪影響を及ぼす。
 そこで、1日目は準備しておきながら結局使うことの無かった折りたたみ式のステッキを本格的に使ってみることにした。

折りたたみステッキ。値段は購入当時で1200円ぐらい。

 これを書いている今日(11/27)で40歳の誕生日を迎えた人間が手を出すには正直時期尚早かも…と思っていたけど、道を歩いている分には奇異な目で見られることはないし(大学構内ではとやかく言われるのも嫌だったので使用せず)、歩くときはもちろん、電車・信号待ちなんかで「寄りかかるもの」があるのは助かる。折りたたみだから調子が良いときはむしろ邪魔なので自然な流れでしまえるし、これはアリだなと感じた。

 授業内容に関しては、今回はグループ内の別の方がイニシアティブを取りたい感じだったので、今回は主にアシストに回ることに。前回は企画展の企画担当ということで、かなり主導的な立場をやっていたことに比べると、良くも悪くも傍観者的な立場になってしまったことは否めない。ただし、そういう立場から見ていてわかることもあるなという風にも感じた。
 具体的に言うとプレゼンテーションのまとめ方についてで、上手な班は時間をオーバーしたときのスキップの仕方が非常に上手いなと。

 丹精込めたものの一字一句を伝えたくなってしまう、その心理はよくわかるけど、例えば10分の枠と聞いていたのに、そこで15〜20分のプレゼンテーションをされると、だんだんと興味が失せ、聞かなくなってしまう。みんなが10分でまとめているなかルールを破っていることが「ずるい」ということにもなるし、何より発表者自身が要点を掴めていないから時間が伸びてしまっているという面があるんだとも思う。

 プレゼン上手な人はその要点をよく理解し、発表内容の「主張」「理由」「例示」といった区別もしっかりできている。おそらくだが、たとえば5分や1分の内容に要約することもできるし、反対に20分に引き伸ばしても無理なく構成することができると思う。自分が書いているものを「起伏」をもって理解できている、そういう印象だった。
 そして私は…私の前のプレゼンテーションが延びて「時間過ぎてます(大意)」と教官から釘を刺されているなか、相変わらず人前苦手の緊張しいのしどろもどろではあったのだけど、その気になれば2-3分は話せる内容を1分程度にまとめることはできて、それだけは以前より前進できたのかなと胸をなでおろしている。

 孫引きということもあり正確な引用ではないが、著述家の勝間和代さんが「最低でも5000字のアウトプットがないと、文章力を鍛えるところまでいかないという最低線がある。2000字をインプットして1ツイートをするという程度では、なかなか首尾一貫した論理構成を生み出す練習にはならない。」という旨のことを仰っていたことがあるらしい。

 この点を意識していたわけじゃないが、10月以降に入って1000字単位(平均だと2000-3000字)の記事更新数を増やした(増やせるようになった)ことも今回のプラスに働くことになったような気がしている。書いたものに関してはいちおうchatGPTを使って簡単にフィードバックをしていたり、noteを書く傍らで大学のレポートも書いている。
 全然まだまだだが、今回のような「要約」が曲りなりにもできたところでも、作文を学び直した成果がようやく出てくれたように感じる。

(続きます)


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