見出し画像

「作文」を学び直す

 先月、芸術関係のあるウェビナーを受けていた際、文章術の話題になった。そのウェビナーでは短文のレポートを希望者に対して行っており、先生によると「上手くまとめられていない人がいる」と言う。
 先生は書棚から一冊の本を取り出した。ちくま学芸文庫に入っている、現代文の「古典的な」参考書である。
 有料講義なので書名をそのまま掲載するのは憚られるので、ここでは検索結果のリンクを貼るにとどめておきたい。

 その時、私は大学から返却された卒業レポートの内容に不満があり、どうしたものかと悩んでいる時だった。そんな時に、還暦を過ぎた先生が高校向けの現代文の参考書に目を通している、その事実に驚いた。30年以上のキャリアで50冊程の書籍を刊行し続ける、先生の源泉を見たような気がしたのである。

 そこで私は、作文を学び直すことにした。
 具体的には図書館に行って「文章術」「文章の書き方」… そういった類の本を目につくものから読んでみた。20-30冊ぐらいは読んだだろうか。そして、気になったところ、自分にとって足りないと思ったところについてメモを取った。「なんの意味が?」という声も聞こえてきそうだが、色々読んでいくうちに、自分の文章の欠点が朧げながらに見えてきた。
 たとえば、私の文章は一文が長い。「1文60字以内にしましょう」というタイトルの本もある中、私は平気で一文80字、時には100字を超えていた。我ながら「長いな…」と思いつつ変えられないでいたが、今回をきっかけに変えることにした。PC版のnoteの場合、1行が34文字なので、2行以上の文章を書かないようにしている(60字以内が理想であるが、厳格には考えていない)。

 また、一つの文章で「言いたいこと」は一つに絞る、というのはウェビナーでも、そして大学でも指摘されていた。タイトルや要旨、結論に関係無いものはそこに労力を割いていたとしても、削ったほうが良いという指摘である。文章には紙幅というものがあり、余計な箇所を残すということは、大事な箇所を削るということでもあるからだ。
 そういう話を最初のうちに大学で教えてくれれば…と思ったが、全ての勉強は畢竟独学とも言える。

 そういうわけで、最近のInstagramの感想文の、書き方を少し変えた。文字数は600-700字程度に絞り、「言いたいこと」を中心にして感想文を構成するようにした。私の書いているものは美術展の紹介文ではなく、それを見て感じた、主観を書いた感想文なので、そもそもが読みにくい。まだ慣れていないところもあると思うが、そういう「読みにくい」ものが少しでも読みやすくなってくれればと思う。

 以前、「人は変わらない」と強く主張していた人がいた。
 おそらく人生経験として、そういう人に出くわしてきたから、そういうことを言っていたのだろう。根本的なところでは、確かにそうかも知れない。
 しかし、人は変わらずとも、磨くことはできると思う。マネとモネの区別もつかなかった以前の自分と、ここ数年間、芸術を曲りなりにも勉強した自分とでは、アウトプットされる文章は明確に違う。その知識や技術を背景に、自分が思っていることをより強く主張できる。
 「磨く」という言葉は「成長する」などと言い換えることもできるが、それだって「変化」であると思う。そのために費やしたものがあるのに、それを無視して「変わらない」とされるのには、内心反感を覚えてしまう。

 文章一つでもそうなんだから、他のことでも同じだと思う。さすがに若いという年齢ではなくなってしまったが、まだまだ「変化」に挑めることに、仄かな充実を感じている。


 ちなみに、文章術で学んだことは写真加工にも応用している。

 デジタルカメラで撮った写真を前にして、以前はどう画像処理するか、加工方針が立たずに悩むことがあった。
 この時、文章術における「言いたいこと」を考えれば、自ずと答えが見つかる。「言いたいこと」、すなわちそれは素材の魅力である。たとえば形が重要で、色彩が重要で無いのならば色彩は邪魔ということで、遠慮なくモノクロにできる。陰影を強調したいのならコントラストを強める…といったことも考えられる。
 一方で、素材の持つ色彩を強調したいのなら、モノクロにする選択肢は当然ありえない。今まで自分が感じていた違和感は、せっかくの優れた色彩を、一種のイデオロギーでモノクロに染めていたことへの違和感だった。

 というわけで、私の写真はカラーが増えた。森山大道の個展「記録」を見たことがきっかけで始めた私の写真撮影は、(そんな大層なものでもないが)いつの間にやら中平卓馬へと近づきつつある。

夜桜

🙇よろしければサポートお願いします🙇