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ここだけの話、100円ショップで売ってるハードカバーのメモ帳が便利です。(付録:私のメモの取り方)

1 美術鑑賞時のメモ事情

 それなりの文字数の感想文を書いていると、どうしても会場でメモを取るという行為が不可欠になっていく。あえて言うなら、感想文の出来は美術鑑賞にせよ読書にせよ、とったメモの水準に左右されると言っても過言ではないと感じている。
 もちろん、事前にある程度調べることも不可能ではないし、ジャンルによってはむしろ必要だったりすることもあるが、とどのつまりそれは本番を楽しむための予習に過ぎないというのもある。一方で事後、感想文を書く段階で情報を補填しすぎると、現場で見た実感を殺してしまう危険もある。特に何かに属しているわけでもない、個人の感想であるからこそ、現場で作品を見た、実感のこもった感想にこそ価値があると思っていて、できる限りそれを生かすように書いたほうが、自分にとっても得が大きいと考えている。

 そんなわけで、美術鑑賞の際はメモが必要不可欠となっている私だが、一方で美術鑑賞時に荷物をあまり持ちたくないというのもある。それがサコッシュでもふとした瞬間に作品にドン!だけは意地でも避けるべく、鞄はロッカーに預けてしまうので、ポケットに入る使うスマートフォンと鉛筆ぐらいしか持ち込めない(買い物は最大限カードやキャッシュレス決済を活用して済ますようにしている)。
 そして、メモ用紙代わりに使用しているものが作品リストである。もともと手帳類を持ち歩いていないこと、作品タイトルの横に感想を書いたりすることもできるため、こちらを使うことが少なくない。

2 作品リストを失って、僕らは

 しかし最近はSDGsの影響か、作品リストを紙で提供しない芸術展(直近だと東京国立近代美術館で開催中の大竹伸朗展)、また森美術館や三菱一号館美術館のように美術館のルールとして作品リストを配布しない美術館も出てきた。もちろんせっかく大量に刷っても捨てられるリストがあることは容易に想像されるため、こうした美術館側の対応は理解できなくはないが、こちらとしてはメモ帳を用意しないといけない。

 スケジュール帳を持たない私はそういうわけでコンビニで買ってみたり、たまたま大手町駅の自動販売機で(確か)3冊200円で購入した「朝乃山自由帳」(タイトル画像右)を持ち込んだりするわけだけど、コンビニで100円で売っているような、いわゆる「メモ帳」はサイズが小さすぎる。かといって「朝乃山自由帳」は逆にサイズが大きく、その割と罫線が無いために文字サイズも大きくなってしまう。
 さらに、紙質も(歩いたり、立ち止まったりしてものを書くものとしては)ふにゃふにゃで、作品リストを使うときと同様にクリップボードが欲しくなる(前述した理由で、あまり持ち込みたくない)。そういう逡巡を経て、最終的にそういうものだとして「しょうがない」と割り切るしか無いのかもとも一時期考えたが、そう考えること自体がなんだかシャクでもある。

2 そして僕らは出会った

 そんな折、100円ショップで僕らは出会った。そう、ハードカバーのメモ帳である。大きさは文庫より更に細身で、ページ数は忘れたがメモ部分の厚みは5mmに満たない程度。値段は当然100円(税抜、タイトル画像左)。

中はこんな感じ。非常にありふれている。

 もともとコスパを考えてしまう性分で、ハードカバーの(色々書いてあるような)手帳ならまだしも、ページ数も多いわけではないメモ帳というのは「どうかな…」と思っていたのだけど、ほどよく小さい割とメモできる分量もあり、なによりも背中が固いので、クリップボードがいらないのが大きい。

 それで本日、美術鑑賞に行った際にメモをとって見たのだけど、期待以上の成果だった。もっと言えば作品リストにメモをとっていたとき以上で、作品リストの隅に、あちらこちらに飛び飛びになっていたメモがコンパクトに、(今回は大規模の美術展を回らなかったので)40分ほどの美術鑑賞の内容が1.5-2ページ弱にまとめられている。あとはここに書いたメモを参考に記憶の意図を手繰り寄せれば良い。

記入例。ほっとんどモザイクですが。

 今回まで、背表紙付きのメモ帳というものを食わず嫌いならぬ「使わず嫌い」をしているという状態だったけど、今回はその認識を改める機会になった。「とっくにわかってるよ」と言われるかも知れないけど、個人的にはデカい発見だったので書いてみました。オススメです。

おまけ 私のメモのとり方

 ちなみにメモの取り方だけど、巷のメモ術みたいな本も一応何冊か読んでみたりもしたけど、読めば読むほど「とりあえず、がむしゃらにメモをとる」というのがかえって重要な気がしている。
 プロのメモ術というのはがむしゃらにメモを取るよりも効果的にアイデアが出たり記憶を手繰れたりするのかも知れないが、いっぽうで形にとらわれすぎて、メモ自体が書けなくなる感じもする。普通の文章ならまぁまぁのボリュームが書けるのに、俳句の575という制約が生まれると途端に言葉が出てこなくなるような、あの感じだ。
 そして、発表する段階はまだしも、推敲の段階でも果たして575にする必要があるものなのだろうか。メモも同じである。

 このことは写真撮影にも言えて、三角構図だS字だなんだと考えすぎると、かえって手がすくんで撮れなくなってしまうことがある。あーだこーだ考えるよりも、とりあえず目についたものにレンズを向けて、シャッターを切ってしまったほうが弾みがついて、その1枚が冴えなかったとしても、その日全体としてはむしろ良い写真が撮れたりすることも珍しくない。

 最後に、1970-80年代に活躍したアメリカの詩人ブコウスキーによる、"art(芸術)"という有名な詩がある。ここで言及されているのはメモに限った話ではないのだが、それゆえに深い含蓄を含んだ詩でもあり、短い詩なので全文を引用しておきたい。

as the
spirit
wanes
the
form
appears.
(和訳:精神が衰えることで、形式が現れる。)

Charles Bukowski "art"

 

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