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兼本浩祐「普通という異常 健常発達という病」講談社新書
あまり読み慣れないタイプの本ということもあり少々苦戦していましたが、大雑把に言えば承認欲求について書かれた本だと思いました(本編では直接この言葉を使って言及されてはいないのですが)。
特にInstagramの流行あたりから「承認欲求」ということが話題にされがち。「いいね」がつかなかったりフォロワーが増えなかったり…その結果、「インスタ映え」を狙って撮り方を変えたりエフェクトを加えたり、とにかく自分のアクションに対するリアクションが無いと人はどうも不安になりがち。
かく言う私もそれに近いところはあるかと思いますが、それを作者に言わせれば「普通」であるからこそ。著者は『「いいね」を奪われたら存在できない』とまで言ってのけます。ただ、その「いいね」というのはただのSNSのハートマークではなく、より広範なベーシック・トラスト(基本的信頼)を指します。ベーシック・トラストというのは、たとえば家族や周囲の人間による、無条件の愛情表現ということになるのでしょうか。
著者は実際の患者であった「舞子さん」の例を挙げ、
「いいね」を言ってもらえずに幼少時代を過ごしてしますと、大人になってからベーシック・トラストを再構築することにはたいへんな苦労を伴うことが多いように思います。
(略)
でも、「いいね」を安定的に言いつづけてくれる人を不完全であっても体験するこおtができていれば、それはベーシック・トラストが大人になって新たな「いいね」を受け取って再構築されるための小さくはあっても取りつく島として機能しうることを舞子さんの事例は教えてくれています。
と述べています。
きっとそういう経験を受けている人はSNSのハートマークはそれほど欲しがらないはずなんですが、とかく教育は禁欲主義的に、「いいね」をせず、子供を厳しく育てられてしまいがち。かくして、「いいね」を欲しがる、つまり、ベーシック・トラストを再構築しようとするわけです。
その根本は特殊な病理というわけではなく、むしろ「普通」をこじらせているからこそ。社会の同質化を目指すのが「普通」ということかなと思ったのですが、「自分がどうしたい?」という自己の欲求より、「自分が何を求められている?」という他者、ひいては社会の欲求を優先してしまった結果、病理として生まれてしまった心理かなと思いました。ただ、よく言われる「自分らしく生きる」ということが、むしろ健常発達のレールから外れるということでもあるのかなと思うと、少し複雑な思いもあります。
ここで紹介したのは、筆者の主張の一部です。筆者は更に大学入学後の「燃え尽き症候群」であったり、ポロックの「非業の死」やウォーホルなどのファインアート、ディズニーランド、さらにはエヴァンゲリオンやテレビ番組「あざとくて何が悪いの?」に至るまで、非常に多岐にわたる題材からの言及をしております。それは「健常発達」という言葉を題材にした人間論であるように思いました。
個人的にはディズニーランドがベーシック・トラストを与えている(一種の治療的役割を果たしている)という点に興味関心を持ちました。自分の知っているあるタレントさんが承認欲求の塊で、かつディズニーランドの熱狂的なファンなので、その二つのアイデンティティが繋がっていくのかという、ちょっとした気づきもありました。
ただなんとなく読むのではなく、書き込み(Kindleであればメモを追加)しつつ、自分なりに咀嚼して読みたくなる本です。読むのに時間はかかってしまいますが、かけただけ得るものがあった本でした。
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