見出し画像

御伽怪談第三集・第八話「七ケ浜の怪獣」

  一

 時は文化のはじめとあるので、1800年代初頭のこと、あと五十年ほどで黒船が来るかと言う頃の出来事である。
 当時はまだ、北海道は〈蝦夷〉と呼ばれていて松前藩が置かれていた。事件はその松前藩に派遣されたサムライたちが体験した出来事である。この『奥州波奈志おうしゅうばなし』の著者は、もうかれこれ二十年近く前の話になるその事件を、夫の弟たちに聞いて振り返る形で書き残している。

 その日、義弟が語る体験談は、
「もう二十年近くも前のことでござるが、松前藩に防人さきもりのため、おもむいた時に見聞きした物語でござる……」
 と、はじまった。
 当時、七ケ浜の内大須うちおおすと言う所で、ある夏のさかり、疱瘡ほうそうの病が大流行し、子供たちの大半が死んだことがあった。その頃、何者の仕業しわざであろうか、あちこちの墓を荒らし死体を喰い荒らす事件が多発していた。異様な事件である。所の者が寄り合って、死んだ子供たちの菩提ぼだい、または悪魔除けのためとして、祈祷などを行い、大きな卒塔婆そとうばを立てた。墓には重い石をいくつも積み上げ、獣などに荒らされぬようにしていたと言う。しかし、夜の間に卒塔婆を引き抜き、石も投げ捨て、土を深く掘り返して喰い荒らされていたのであった。
 親たちは驚いて、
「いかなる大力者たいりきものの仕業であろう?」
 と口々に語り合った。
 だが、解決もしないまま、まもなく疱瘡の波は激しさを増して、あたかもうち枯れる木立こだちのように、たくさんの子供たちが死んでいった。
 不思議なことに、以前からある墓や大人の墓は掘り返されていなかった。新たに亡くなった子供の墓ばかりを目ざとく見つけ、荒していたのである。新鮮な死体ばかりが狙われていたのだ。
 子供を亡くした親たちは、深く憂い、遠くなげいて、
「わが子は、やすらかに死ぬることもならぬのか……」
 墓荒らしを防ぐため、一計を案じた親たちが、墓に沿って重い岩をいくつも置いた。しかし、翌日になると、岩はすべて投げ捨てられていた。小石でも弾くように捨てられて、墓穴は掘り返され、棺の中の死体はすべて喰われていたのである。
 墓には、歯で引き裂かれたような装束しょうぞくばかりが残り、骨や髪の毛に至るまでことごとく喰われていたのであった。食べ残しはなかった。しかし、不気味なことに、ちぎれた片方の手首だけが、石の上にそっと置かれて残されていることもあった。人々はあまりのことに怖れおののく日々であったと言う。不思議で、なおかつ、不気味な事件であった。

 木々が色付き、秋が近づく雨の後の墓場に、犯人とおぼしき足跡が残されていた。その跡は、人の物でも、ましてやヒグマのような獣の物でもなかった。形はまるで、筋肉の発達した大男の腕を地面に押しつけたようなものに見えたが、だからと言って、人が作り出す偽物だとは思えなかった。足には太い獣の毛が生えていたのであろう、ところどころに、その形跡が見てとれた。このような形をしたものは、誰もが知る地元の獣ではなかった。


  ニ

 その足跡の大きさと深さから、かなり巨大な怪物であることが推測出来た。真夜中に墓場を徘徊はいかいし、新しい死骸しがいばかりを喰いあさる巨大な何か……それだけを理解するので精一杯であった。
 そんなある時のことである。猟師が蝦夷鹿を狩って皮をぎ、家の外に置いていたことがあった。朝、目覚めると、一夜の内に何の気配もなく骨まで喰われてしまったと言う。
 散乱する血と肉片を目にした猟師は、
「これは、ヒグマでも、もちろんイノシシやムジナの仕業ではない。はなはだ大食いの何かだ」
 と、前にも増して怖れたのであった。

 ちょうどその頃のこと、誰言うともなく妙な噂が流れた。
——疱瘡婆ほうそうばばと言うものが、死体を喰うために歩きまわり、病気を重くさせて人を殺すのだ。
 多くの者が半信半疑の中、手のほどこしようもなく、鉄砲撃ちを派遣してもらうこととなった。
 そうこうする内に、村の有力者の十代の息子三人が一度に疱瘡にとりつかれ、一夜の内に亡くなったと言う。
 その時、父は狂ったように頭を掻きむしり、
「死んだことは是非ぜひもない。この亡骸《なきがら》を、むざむざ化け物の餌食えじきとなすものか」
 と歯噛はがみして、死体をひとつの棺桶かんおけに重ねるように押し込み、一ケ所に埋めて、巨大で平らな岩を十七人がかりで持ち上げて、墓の上にふたをした。
 夜となり、墓穴のまわりにいくつもの松明たいまつを立てて、多くの者に寝ずの番をさせることとなった。
 これとは別に、近郊近在で名のある手練てだれの猟師二人を、一夜、百疋ひゃっぴき(現在の貨幣価値で十万円前後)の高報酬で雇い入れ、墓を守らせることにした。まさしく物々しい厳戒態勢であった。あまりに厳重な警備であったためか、数日の間は、怪物はおろか、人を気にせぬ獣すら姿をあらわさず、おだやかな虫の音だけが墓場に流れていた。
 猟師たちには相手も分からずはじめてのことであったが、退治する自信と気構えがあった。凶暴なヒグマを一発で仕留める猟師がふたりもいるのだ。火縄銃を構えてはいたが、この数日は無駄足だった。
 彼らは、ふと、考えをめぐらし、
「このように明るくては、いくら化け物とは言え、近付きづらかろう。暗闇に潜んで化け物を打ち捕りたい」
 と告げるのであった。

 その夜、彼らの言葉に任せて、松明たいまつは灯さなかった。暗い新月の夜だった。鼻をつままれても分からないほどの闇が、漁師たちを押し包んでいた。暗闇の中では何も見えない。だが、鼻や耳は研ぎ澄まされる。今か今かと怪物の気配を探り待ち構えていた。
 ちょうど真夜中になった頃のことである。突然、虫の音が止んで、土を掘るようなザックザックと言う音だけが聞こえはじめた。掘り返す土の臭いも立ち込めている。嗅いだことのない、獣臭さが鼻をついた。
「化け物め、とうとう現れたか?」
 息を殺して忍び寄る猟師たちだが、その時、ふと、脳裏に怪物の仕業しわざを思い出した。手が震え、かすかに火縄が揺れた。猟師たちは震える心を押さえ、それでも勇気を振り絞り、ひとかたまりとなって、一歩一歩確実に怪物に近づいて行った。


  三

 暗闇で形すら分からなかった。何かがゆっくりと動く気配だけがした。時々、怪物の荒い息が聞こえてきた。虫はいなくなったものか、何ひとつ聞こえなかった。
 怪物の気配が射程しゃていに入った時、
——今だ。
 と、ふたりは同時に思った。音も立てずに銃を構えると、狙いをつけて、火縄にふぅと息を吹きかけた。と、その瞬間、ぼんやりとあたりが明るくなった。
 真夜中にカラスが不気味な声を立てた。
 怪物にも火が見えていたのだろう。突然、驚いて跳ね上がると、慌てて逃げ出したのだ。怪物に翼はなかった。しかし、まさしく飛ぶがごとくの勢いで暗闇の中を逃げ去って行った。闇夜である。見えもしない筈だが、猟師たちはハッキリとそれを見た。
 闇の中でシュウシュウと不気味な音が遠のいてゆく。柴木立のバキバキと折れる音だけが、すさまじい響きをあげながら離れて行く。木立こだちが倒れて吹く風に、猟師たちは引き動かされ、前のめりに倒れ込んだ。湿った土で火縄が消えると、もう何の気配も感じなくなっていた。
 墓場の上の、十七人掛かりでようやく持ち上げたと言う岩も、すっかり取り除かれていた。不思議なことに、遠巻きに番をしていた人々は何の音も聞いていなかった。もちろん怪物の気配すらない中で、音もなく大きな岩が木の葉のように捨てられていたのである。
 朝焼けの中で、墓場はかなり掘り返されていた。だが、親の一念は天に届いたのであろう、埋めた子は、誰ひとり喰われていなかった。

 夜が明けて、怪物が逃げ去った跡を追いかけると……五メートル近い高さの柴木立しばこだちがあちこちで倒れていた。まるで折れたマッチ棒が散乱しているかのような光景に、何が起こったのか、すぐには飲み込めなかった。
 深い山あいの、どこまでもどこまでも木立の倒れる様が続き、いったい、どこへ逃げたのかすら分からなかった。火縄を恐れて混乱しながら逃げたためであろうが、このように激しく荒れた状態となったのだった。
 その後、怪物がどこへ行ったものか、姿を現すことはなかったと言う。逃げる際に残したしばの倒れた跡は、
「その後、数年は、確かに残っていた」
 とのことであった。

 その頃、町のいちで買い物をするため、ふたりの女性が遊びに来ていた。五十ばかりの女性と、幼な子を背負った三十ばかりの嫁である。町に着いてしばらくすると、五十ばかりの女性が、突然、何かに怖気付おじけづくようになり、気を失ってしまった。
 町の人々が驚き騒いで、
「薬よ、水よ」
 といたわると、ほどなくして、気を取り戻した。連れの嫁が介抱かいほうして伴なって帰ったが、理由を知る者はなかった。

 それから三年ほどしたある日のことである。あの日、気絶した女性が久しぶりに町に来て語るのは次のような物語であった。
「あれはいちに行くため、町に行き、ふと、向いの山を見た時のことでございます。身の丈が三メートル近くもあろうかと思われる怪物が、大木の切り株に腰掛けておるではございませんか。頭に白髪しらががふさふさと生え、山風に吹き乱れて顔の色は赤く、老婆のようでございました」


  四

 ギラギラした目で見つめられ、恐ろしいことは言うばかりもございません。
 ふと、
「これが、この頃、死体を掘り返して喰らう怪物か?」
 と思うと、急に体がすくみ、意識を失くしたのでございます。
 気を取り直してから、
——そのことを誰かに話せば、何かの災いでもあるのでは?
 と思い、もう、怖ろしくて怖ろしくて、しばらくは黙っておりました。
 しかし、怪物の通った跡すらなくなった今となっては、
——誰かに語っても問題はなかろう。
 と思い、話す気になったのでございます……と申したのであった。

 これをもって思えば、疱瘡婆ほうそうばばと呼ばれるのも、まんざら間違いでもないことであろう。しかし、卒塔婆を抜いたのは、死ぬ人が多く、墓でもない所を掘り返し、卒塔婆を立てていたからではなかろうか。それを不審に思った人が、偶然、親切にも、卒塔婆を片付けただけのことかも知れない。
 偶然に偶然が重なって、疱瘡婆と呼ばれる怪物の想像が膨らみ、噂されたのではなかろうかとも思う。
 新たに土を掘り、石を置くなどしたから、動物などが、
——何かあるのでは?
 と思い、掘り返した可能性もある。
 墓穴に死体があるかどうかに関係なく掘られている箇所もあったそうである。それには、勢いはあるが、神通力を持ったものの仕業ではないからであろう。
「この怪物は、いったいどこから来たものだろうか? 今まで一度も聞いたこともない」
 と、地元の人々が語ったことからしても、そのように思う。『奥州波奈志』より。

 著者は怪物の存在を疑っているが……この怪物については、山姥やまうばの一種ではないかと思う。
 山姥は、老婆の姿をしているが、もちろん、人間ではない。ましてや、老婆ですらないのである。これは、年老いた動物が、古木の霊力を得て、化ける種類の怪物である。
 また、死人しびと盗みを働く怪物には、かなりの種類がある。たいがいは、ひとり、ふたりと少人数を目立たないように盗むため、騒ぎになることはない。
 それでも古い記録には、ちらほらと死人しびと盗みを働く記録が残っている。中には、
「今回、死体を盗む担当になったので、もう人間に化けて暮らすことは出来ない」
 と挨拶して去る、律儀りちぎな怪物や化け物などもいたそうだが……。〈了〉

  *  *  *


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?