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播磨陰陽師の独り言・第三百四十九話「怖くない地獄のこと」

 いわゆる地獄は、もちろん他の仏教国にもあります。しかし、皆さんがご存じの地獄の概念はわが国独自のものです。
 まず、人が亡くなると、体から魂が抜けて天井近くに登るそうです。そして、下を見下ろすと、自分の体が死んでいるのを見ると言います。しかしこれは、臨時体験ではありません。まだ、死んでいないのです。人の脳の中に、死の恐怖を和らげるための保護機能があります。それが起動しただけです。この現象は、電極を頭につけても再現出来るそうです。
 人が亡くなるとお花畑が見えるそうです。臨死体験した多くの人 人々が同じ内容を証言しています。そしてお花畑の向こうにすでに死んだ身内が見えて、お迎えが来ると言います。そこから三途の川が見えるとも言います。
 しかし、地獄の概念を伝えた『十王経』には、お花畑の向こうに三途の川はありません。そこから歩いて七日ほど山道が続くと書いてあります。ここを〈死出の山路やまじ〉と呼びます。死出の山路の長く険しい道を歩くと、最後の広場にやはりカラフルで美しい秦広王の庁舎が見えます。
 建物の向こうには、突然、モノクロの世界が広がります。そこは賽の河原です。河原には色らしい色はありません。ただ手足に傷を負った幼な子の血だけが、真っ赤に見えているだけです。
 賽の河原は、元々は〈さいの神の河原〉と言っていました。塞の神は境界線を守る神です。この賽の河原は、この世とあの世の境界線を意味しています。ここからは本当の死後の世界のはじまりです。ここまで来ると、なかなか引き返すことは出来ません。
 賽の河原に到着すると、川幅40由旬(約500K)もある川と言うより海に違い大河を見ると言います。これが三途の川です。
 しかし、三途の川まで逝った人の目撃談によると、――あくまでも川に見えていて、海のようには見えなかった。
 と、言います。
 また、
——向こう岸も見えた。
 と言います。
 三途の川の向こう岸には、たくさんの彼岸花が咲いています。この花は、彼岸の向こう側に咲くことから〈彼岸花〉と呼ばれています。
 賽の河原には三途の川があります。三途の川には橋が架かっています。この橋は罪の軽い亡者たちが渡ります。罪の重さで橋が見える亡者と見えない亡者に分かれます。
 賽の河原のこちら側には、.衣領樹えりょうじゅの大木があります。この木の上には懸衣翁けんえおうが登っています。そして下には奪衣婆だつえばが控えています。奪衣婆が亡者を見つけると、着物を剥がして懸衣翁に渡します。すると懸衣翁は木の枝に着物を掛けて、罪の重さを測ると言います。ここで罪が軽ければ橋を渡ることが出来ます。罪が普通の亡者は、浅瀬を歩いて渡るように指示されます。そして、罪の重い亡者は深みに突き落とされ、流れながら三途の川を渡るのです。ここでお金を出した亡者は、舟に乗れるそうです。橋と浅瀬と深みを渡るので〈三途の川〉と呼ばれています。舟のことは無視されてますが、正確には四種類の渡り方があるのです。
 さて、昔は人が亡くなると、まずは地獄の入り口へ行くと考えられていました。そこで閻魔大王の裁きを受けて、極楽へ上がるか、餓鬼道や、地獄道に落ちるかが決まると言います。ここに天国はありません。天国の概念は、すでに戦国時代にわが国に入っています。
 しかし、
——熱心なキリスト教の信者にならなければ逝くことの出来ない。
 と言うことで、あまり信用する人はいませんでしたけど……。

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