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御伽怪談短編集・第十四話「亡霊との問答」

 第十四話「亡霊との問答」

 享和(1801)の頃のこと。江戸某所の寺の学問所に、奇妙な僧侶の亡霊が出ると噂があった。
 その噂とは、
——学力自慢の法師が来れば、必ず姿を現わして問答する。
 と言うものである。
 しかし、亡霊が人と問答など行うものであろうか?
 多くの亡霊は頭が良くない。僧侶と問答するなど考えられないことである。そのことから、現れるのは天狗の一種かも知れない。

 ある五月の闇夜、ひとりの法師が提灯ちょうちんを頼りに本堂に登ろうとしたことがあった。
 寺院は広い敷地の中にあった。まばらな木々が立ち並び、遠くトラツグミが鳴いていた。敷地にはいつくか小川が流れており、蛍が飛び交っていた。闇夜の蛍ほど儚く美しいものはない。長く尾を引いて静かに戯れていた。
 法師は壮年であり、なかなかの体格で、見る者を威圧する眼光に満ち溢れていた。この法師、名を満景まんけいと言った。
 満景は、常々、
「拙僧ほど優れた者は、江戸広しと言えども……」
 と、いつも自負していた。黙っていれば良かったのだが、ついそのことが口から出る。まわりからは自慢と取られ、あるいは慢心者として煙たがられていた。だが実際、大きな声は良く通り、言葉も達者で、聞く者を納得させる説得力があった。確かに満景は、自負する通りの優れた僧侶かも知れない。しかし、優れた者なら、自慢したり慢心したりはしないものであろう。その点が満景の評価を下げる部分であった。

 満景が本堂に着くと、学問所の影が見えた。暗闇ではあったが、空には星が瞬いて、輪郭だけ微かに見えた。戸を開こうと手を伸ばすと、ほのかな明かりの中に人魂がふたつ、ゆらゆらと漂っていた。
 亡霊に人魂はつきものだ。特に湿気が高い時、必ずどこかをふらふら飛ぶ。
 人魂は何のために漂うのだろう?
 あれは、言うならば、亡霊に寄り添う小判鮫のようなものだ。亡霊が人を驚かして魂を吸い取る時、おこぼれを頂戴するのである。
 満景は少しゾッとしたが、たかだか人魂である。
——墓場へ行けば、いつでもいるだろう。
 と思うことにした。
 一気に扉を開いて学問所に入り、提灯の炎を移すと、室内が明るくなった。
 すると、そこにいたのである。
 まるで、満景のことを待ってましたとでも言わんばかりに、亡霊が姿を現した。最初、そやつは立ったまま空中に浮かんでいた。周りを人魂が巡っている。亡霊の姿は見窄みすぼらしい衣を纏った老僧にすぎなかった。
 見るからに貧相な老僧に、満景はいきなり見下した態度をとった。
「生前、厳しい修行に明け暮れたであろうに……何とも哀れなものよ」
 と嘲笑せせらわらったのである。
 それから、
「心の本来の姿は清いものなるに、死してなお、現世をさまい歩く。その迷いは何によって生じたるか?」
 と、なじるかのようにつぶやいた。
 亡霊は黙っていた。満景の目には悔しそうに見えた。それを良いことに、満景は、
「修行なかばにして死にたる者が、生者せいじゃと問答いたそうなどと、片腹痛いわ」
 と笑った。
 すると亡霊は満景をつくづく睨みつけて、品のない大声で笑い出した。しばらく笑い声が響くと、突然、怒鳴った。
「知った風なことをぬかすな、この腐れ小僧めが……」
 この声で、寺全体が地響きのように揺らいだ。付近の全ての者の耳に言葉が届いた。その迫力に満景は腰を抜かし気を失ってしまった。
 やがて、満景が気付いた時はすでに遅く、たくさんの若い僧侶たちに囲まれて、哀れにも介抱されていた。もう朝であった。鶏の鳴き声が響き、雀が遊んでいた。意識を取り戻した満景を見た僧侶たちは、安心したものか、一斉に笑った。
 それからと言うもの、満景は大きな恥をかいて肩身の狭い想いをしたと言う。
 この満景、そもそも心根が良くなかったものか、ほどなくして無理矢理隠居させられしまった。亡霊の方も、なかなか気難しい性格であると思った。

 この亡霊、その後、どうなったのかは分からない。生意気そうな法師を見つけては、からかい続けたのだろうか?
 それとも、やがて誰かに祓われて、消えてしまう運命にあるのか?
 他の時代の史料では見つけられなかったため、どこかで勝手に成仏したか、祓われたのだろう。あるいは亡霊は百数十年で自然消滅する原理に基づいて、いなくなったものか?
 色々な時代に、僧侶に悪さする亡霊がいる。同じものではないようだが、不思議と神職には手を出さない。『閑田かんでん耕筆こうひつ』より。〈了〉

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