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播磨陰陽師の独り言・第百八十五話「節句の由来文書」

 色々な古い文書を読んでいることもあり、七夕の由来の物語を見つけました。
 七夕は、一応、中国から来た物語です。
 辞書を引くと、

——中国伝来の乞巧奠きこうでんの風習と日本の神を待つ〈たなばたつめ〉の信仰とが習合したものであろう。奈良時代から行われ、江戸時代には民間にも広がった。

 と書いてあります。物語の中に〈牽牛けんぎゅう〉が登場します。この牽牛を〈彦星ひこぼし〉と呼ぶのは、実は日本だけのことです。中国では、そのような呼び方をしません。牽牛はあくまでも牽牛でしかないのです。
 この牽牛の日本名である〈彦星〉は、天稚彦あまわかひこの彦のことです。天稚彦は研究資料には〈あめわかひこ〉とあります。しかし、なにせ天の川の天稚彦ですので、〈あまわかひこ〉と当時の人々は呼んだと思います。
 この天稚彦は、御伽草子の中に登場する人物です。実在と言うことにはなりませんが、天若彦神あめのわかひこのかみの神話と被っていて、長く七夕の由来として知られていた物語でした。

 また、七草粥の由来となる物語も、やはり御伽草子の中に見つけました。こちらはタイトルもそのままで〈七草草子〉と言います。
 端午の節句の日には、大阪に限ったことですが、昔は、大阪城落城の日であったので、追善供養を行っていたそうです。それと、五日の午前十時には、節句で上げたノボリを、すべて片付けたそうです。これも大阪城楽城を悲しんでのことだったようですが、江戸時代末期には、この風習は廃れてしまいました。
 お盆の地獄のお話しも見つけました。こちらも御伽草子の中ににあり〈富士の人穴草子〉と言うタイトルです。

 秋の節句に重用の節句もありますが、あの節句は、昔は秋のひな祭りと呼ばれていました。九月九日に雛人形を飾ったそうです。ひな祭りは、春と秋の二回あったのです。
 ここで頻繁に登場する〈御伽草子〉は、桃太郎や一寸法師や大江山酒呑童子の物語などが載っている本です。
 江戸時代に発行された復刻版の御伽草子は23編しかありませんが、原本は作者不明も含めて400編もあるそうです。
 手元の資料は限られているので、
——大きな図書館に行きたい。
 と思っています。小倉の図書館はかなり大きいので、色々あると思います。
 上記の、七草と七夕の由来と、富士の人穴に、すでにみつけている節分の由来文書である〈金烏玉兎〉を加えると、四ツの物語を手に入れたことになります。手に入れたと言うのは、すでに、古文をテキスト化したと言う意味です。
 これらの物語は、日本人として知っておくべき物語だと思います。知らなくても良いですが、どうせ、毎年、節句などが来るのですから、
——知っていても損はないなぁ。
 と思う次第であります。
 あとは、桃の節句と端午の節句の文書を探して、見つけられたら、
——超訳した物語にしてみたいな。
 と思っています。いつかすべてを見つけたいなぁ。

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