詩 明け方六時に眠る生活の憂鬱について

昨晩は雪がふりました。
Twitterをやったり文章を書いていたりして、一睡もせずに自室で一夜を明かしました。
明け方6時に風呂に入ります。
昼夜逆転の生活を自分で咎めました。
ペットボトルの中にひとすじ飛び込んだ墨液みたいな罪悪感がすぐに、観測できないくらいに薄められて溶けてゆきます。
わたしは私に、なれてしまったみたいです。

パステルカラーの青、曇りガラスに映った雪の日の明け方。
浴槽の中、沖縄の海に体液のまざった色合いの、酔ったように揺蕩う湯。
視界のすべてがビニルのようにわざとらしい、ツルツルとした感触でした。
濡れたプラスティックの浴槽も、なにもかも、ちっとも騒がしくありませんでした。
風呂を出ました。

玄関には、また同じ青をのせたすりガラスがありました。
わたしの靴は玄関で、ひっそりと息をしずめていました。
よそゆきの靴なのではありません。
雪が降ると、街が静かになります。
雪の日の空、特有の閉塞感。
まるで凍ってしまったみたいに、時間の流れが変わります。
気持ちだって、そうであってくれたらいいのに。
雪の日くらいは、心に雪をふらしたい。
静かでありますように。

朝6時半、起きてきた家族と話します。
あまり楽しくはありません。
他人と話すと、不快な振動を感じます。
またあらたな墨液がペットボトルの中に紛れ込みます。
ひとつ、ふたつ、もう数えられない。
土とまざってしまった雪とおなじ。
ベッドにつきます。
まだすこしねむれません。
墨液が完全に、
身体にとけこんで
しまう

まで。







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