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娘と2人旅 〜グラストンベリーでのリトリート①〜

この週末、娘と初めての母子2人旅をした。行先はイングランド南西部のグラストンベリーという田舎町。ロンドンからバスを2本乗り継いで約4時間の旅。
10:50にハマースミスのバスステーションから出発。といっても、バスは少し遅れてやってきたので、本当の出発時刻は11:05頃だった。
イギリスに来て初めて乗った長距離バスは思いのほか快適で、座席はきれいで、トイレ完備で(ただし使っていないのできれいかどうかは知らない)、空調もちょうどよく管理され、陽気で気さくなドライバーによる安全走行だった。

走り出して1時間もしないうちに、私はお腹がすいてきた。その日は朝ご飯を食べていなかった。お昼ごはんは、自分で作ったおにぎりと、いちごとレタスとハム。私が食べるとき、娘にも食べるかと尋ねたら、彼女は「今はまだいらない」と言ったので、ひとりで先に食べた。
おにぎりって、人に握ってもらっても、自分で握っても、やっぱりおいしい。旅のお供はやっぱりサンドイッチよりおにぎりだ。フィルムを開けた瞬間に広がる海苔の香りを、周囲にいた人たち(日本人でない人たち)がどう感じていたかは、私にはわからないけれど。

娘は最初、窓側の席に座り、ずっと外を眺めていた。ときどき、私の問いかけに静かに答える以外は、何も話さず、何も聞かずに。
しばらくすると、娘が鼻血を出した。窓からの日差しで頭が熱くなったのだろう。15分程強く両小鼻をつまみ、止血する。娘が鼻血を出すのはしょっちゅうあることなので、お互い焦ることもなく、淡々と。
鼻血が止まると、娘と私は窓側と通路側の座席を交代した。窓からの景色を見られなくなり退屈になった娘は、おにぎりといちごとレタスとハムを食べると言った。「そのハムはちょっとしょっぱいから、レタスと一緒に食べたらいいよ」と言ったのに、娘はハムとレタスを別々に食べていた。人の話を全然聞かないところは、私に似たのだから、仕方がない。
食べ終わってしばらくすると、こっくりこっくりと首をもたげ始めた。食べて、寝る。人間の、生物の根源的な営みを忠実にこなす姿が、いとおしい。

ロンドンの市街を抜けると、車窓から見えるのはどこまでもなだらかな牧草地、丘陵地、灌木、羊、馬、牛、ときどきレンガ造りの小さな集落。日本で長距離移動すると、必ず山のある風景を目にするが、イングランドには山がない。ロンドンなどの街中を歩いているときよりも、こういう田舎の景色を眺めているときの方が、外国にいるという感じがする。そんな景色を見るともなく眺めてたら、私もいつの間にか眠りに落ちていた。

目が覚めると、少しずつ家やお店の数が増え、街に近づいている気配があった。ブリストルに近づいてきたのだ。ロンドンからグラストンベリーに直接向かうバスはないため、ブリストルという街で、私たちはバスを乗り換える必要があったのだ。娘に、「もうすぐ着くよ」と声をかけて起こした。まだ眠そうだった。
到着直前の車内アナウンスで「予定時刻より10分早く到着します」と言っていた。出発時刻は遅れたけれど、到着時刻は守ったどころか早く着くなんて、優秀なドライバーだと思った。そのとき時刻は13:20だった。
そしてふと思い出した。私たちはブリストルのバス停でバスを乗り継ぐのだが、そこで1時間ほど待たねばならない予定だった。しかし、バスが10分早く着いたということは、もしかすると一本前のバスに乗れるかもしれないと思い、検索してみると、一本前のバスは13:27発となっていた。急いでバスを降りた時間は13:23。急いでグラストンベリー行きのバス乗り場を探した。すぐに見つかった。チケット売り場のおばさんに「グラストンベリーに行きたいんだけどあのバスでいいですよね?」と尋ねたら「あと1分で出発するわよ!支払いは車内だから!急いで!」と言われ、慌てて走った。間に合った。1時間待つ予定が、乗り継ぎ時間4分に短縮された。なんというラッキー。ハマースミスでバスを待っていた時、コーヒーを買おうかどうか迷ったけれど買わなかった自分をほめた。もしあの時、コーヒーを飲んでいたらきっと、ブリストルでの乗り継ぎ時にトイレに行きたくなっていただろうから。

グラストンベリーへ行くバスはダブルデッカー、二階建てバスだった。二階建てバスに乗る場合、よほどの短距離移動の場合以外は、私は二階に乗ることを好む。眺めが全然違うのだ。そしてこの時ももちろん、私たちは二階席に上がった。しかも、運よく一番前の席が空いていた。
二階建てバスに乗って、一番前の席が空いている場合、私は必ず一番前に乗る。理由はもちろん、景色を楽しめる特等席だから。こどもでなくとも大人でも、二階建てバスの先頭席というのは特別な席なのだ。喜び勇んで先頭席に座ったものの、10分もしないうちに、私たちは一つ後ろの席へと移動した。
先頭席の眺めがよいのは、当然、正面が大きな窓だからである。そしてそれは必然的に、日差しが最もきつい席にもなる。しかも時刻は昼過ぎ。窓の正面から燦燦と午後の日差しが照りつけていた。先ほどのバスで鼻血を出した娘が、もう一度鼻血を出してしまうことが容易に想像されたため、やむなく移動したのだ。一つ後ろの席に下がっただけで、体感温度は5℃くらい下がったのではなかろうか。お天道様の力は偉大である。

ブリストルからグラストンベリーまでの道中は、ロンドンからブリストルまでの道中よりも、さらにのどかな田舎道、一面緑の牧歌的な風景が続いていた。
ブリストルからの乗客の中には、私たちと同じようにグラストンベリーへ向かうであろう人も何人かいたが(そういう人は明らかに見てわかる格好をしている)、このバスは長距離特急バスではなく普通の路線バスのため、普通の生活者の方(だと推測される人々)が多く乗っていた。はるばるロンドンからやってきた私たちにとっては新鮮に映る景色が、そういう人たちにとってはいつもの日常の景色なんだということが、当たり前なんだけれど不思議に思えた。
出発駅から到着駅までノンストップだったロンドンからのバスとは違い、ひとつひとつのバス停に停車し、降車する人を吐き出し、新たに乗車する人を吸い込みながら進んでいった。時間はかかるけれど、こういう旅路の方が、心と体が同じ速度で移動できるために、「遠くへ来た」ということを、より体感として得られた気がした。

ほとんど定刻通りにグラストンベリーに到着し、バス停から宿へは歩いて向かった。グーグルマップを頼りに住宅街へと続く坂道を上る。こんなところに本当に道があるのか?と見落としてしまいそうなほど細い路地を通った。『耳をすませば』で、初めて雫がムーンを見つけて追いかけたときに登った急な路地に似ていた。その路地を抜けると、今度はさらに細くて急な緑の小径が待っていた。こちらは『となりのトトロ』の世界観を彷彿とさせるような道だった。この道を毎日の生活路として通る人は、きっとわくわくしたりしないのだろうなと思いながら、私はわくわくした気持ちで上った。
娘は、ここ数日間ずっと家に引きこもっていて体力が落ちていたこともあり、重い足取りで息を切らせながら上っていた。

坂を上り切ったら、開けた丘の上の住宅街に出た。まさしく『耳をすませば』の中の街ようだった。空が広がり、風が吹き抜け、遠くの景色が広がる。こんなところに住んでいる人はいいなぁ、などと思いながら道路を歩いていたら、その道路から急勾配の階段が続いている家の玄関が見えた。「酔っぱらって帰ってきたらこの階段踏み外しそうだよね。踏み外して落っこちたら死にそうだよね。この家に住んだらお父さん死んじゃうからだめだね」と娘と話した。この家に限らず、丘の上にある家に住む人はみな、毎日あの急な坂道を上り下りしながら生活しなければならないのだ。多くの人はきっと、車で移動するのかもしれないが、坂の上に住むって、眺めはいいけれど何かと大変だろうな、と思った。

Airbnbでとった宿は、女性が一人で住んでいる家の一部を貸し出しているものだった。私たちが到着した時間、ホストは家でオンラインで仕事中だったため、部屋の中には入らずに、玄関ポーチに荷物だけ置かせてもらうことにした。玄関横にベンチがあり、そこに座って、開けた景色、流れる雲を眺めながら、少し休憩をした。そして私たちは街へとおりていった。

先ほど通った緑の小径を下っているとき、私の後ろを歩いていた娘が「お母さん、見て」と言うので振り返ってみると、娘は地面を指さしていた。その先に目をやると、青く光る何かが動いていた。虫だった。しかし、見たことがない風体をしている。頭、腹、尻の3つに体が分かれていて、足は6本ある。しかし、お尻だけが異様に大きい。お尻が大き過ぎるせいで、なんとなく動きが重いというか、どんくさい。頭を持ち上げ、触角をせわしなく動かしながら歩いている。「なんだろうね?見たことないよね。アリみたいにも見えるけど、女王アリ?」「アリと言われればアリにも見えるけど、違うような気もするね?女王アリだとしたら、ひとりで巣の外に出る?追い出されたのかな?」などと言いながら、しばらく娘と2人でそのなぞの昆虫の様子を眺めていた。小径の脇にある木の柵の下にその昆虫が入り込もうとしたとき、中からクモが出てきて襲われそうになっていた。クモよりその虫の方が体が大きく、力も強そうなので、すぐにクモから逃れていたが、またすくに同じ場所に入ろうとして、またクモに襲われかけていた。「さっきも同じところで同じ目に遭ったのに、バカなのかな?」などと失礼なことを言いながらしばらくその虫の行方を追っていたが「こんなところでずっと虫を見てたら日が暮れるから、街へおりようか」と言って、私たちは虫に別れを告げて先へ進んだ。
帰宅後に改めて調べてみると、それはヒメツチハンミョウという名前の昆虫だった。危険を察知すると毒のある液体を出すらしく、それに触れると皮膚炎を起こしてしまうらしい。結構危険な虫だったようだ。危うく触らなくてよかった。

街におりて最初に向かった先は、チャリス・ウェルというナショナルトラストによって管理されているガーデン。ここはキリストの聖杯が埋められているとか、一度も枯れたことのない井戸があるとか、数々の伝説のある有名なパワースポット。あのジョン・レノンもこのガーデンで名曲『imagine』の着想を得たとかで、スピリチュアル好きからビートルズファンまで多くの人が世界各国から訪れる場所。
しかし、私たちが訪れたのはイースターホリデー最後の金曜日の夕方ということもあってか、さほど人は多くなかった。しかし、そこにいる人たちはとにかく“おもしろそう”な人ばかりだった。猫耳カチューシャをして白いレースのミニワンピースをまとった男性、ヒッピー風の服装の若者グループ、宇宙とのチャネリングを試みているであろう様子の女性、芝生の上で編み物をするおばあさん、水路で遊ぶこどもたち、いろいろな人がいた。
私と娘はひととおりその中をぐるっと回り、途中から裸足になって歩いた。娘は最初、裸足になることを嫌がっていた。汚れることをひどく嫌うたちなのだ。それを知った上で私は彼女に「今のあなたには生命力が足りていないんだから、大地と水のエネルギーを直接肌で感じる必要がある」などと、怪しいスピリチュアルカウンセラーのようなことを言って、無理やり裸足にならせた。かくいう私も、裸足で歩くことが久しぶりすぎて、初めのうちはなんとなく落ち着かない感覚で歩いていたが、乾いた芝の上を歩くのはとても気持ちがよかった。石畳や小石の道を歩くときには、砂漠を歩くトカゲのようにぎこちない足取りになったけれど。

鉄分を多く含む湧き水が流れ込むヒーリングプールと呼ばれる場所で、私たちは足浴をした。私たちが一度そこを通り過ぎたときに足浴をしていた女性は、とても静かで心地よさそうな笑みを浮かべて座っていたので、さぞ気持ちがよいのだろうと思って足を入れてみたら、驚くほど水が冷たくて、思わず「冷たっっっ!」とすぐに足を引き上げてしまった。その私の反応を見た娘は「え~そんなに冷たいならいやだ~」と抵抗したけれど、「せっかくなんだからあんたもやりなさい!」と私に説き伏せられ、足を入れては出し、入れては出しを繰り返していた。先ほどの女性は、あんなに気持ちよさそうに静かに座っていたのに、私と娘はやかましく落ち着きがなかった。この差はどこからやってくるのか。

すっかり冷たくなった足を乾かすために、日当たりのよい場所に腰を落ち着けた。普段の娘なら、レジャーシートの上でなく直接芝生の上に寝転ぶことも嫌がるのだけれど、この時は抵抗することもなく寝転がった。ただし、頭の下には私のエコバッグを置くことを忘れはしなかったけれど。
私も娘の横に寝転んだ。横目で娘を見ると、胸の上で両腕を組んでいたので、その腕をほどいて開かせ、手のひらも開かせた。同時に、彼女の心も開かれることを願って。私は娘の左手をそっと握りながら、2人で静かにそのまましばらく過ごした。
風の音、鳥のさえずり、車のエンジン音、談笑する声、聞くともなく耳に入ってくる音。目を閉じていても瞼に感じる日の光。風が頬を撫でる感触、草の匂い、そして娘の手の柔らかさ。その時自分を取り巻いていたものをひとつひとつ感じることができた。娘も同じように感じていたのだろうか。

娘が、また鼻血を出した。一度鼻血を出すと、ふとしたきっかけですぐにまた出てしまうのだ。このときは少し日に当たりすぎたのか、鼻をかみ過ぎたのか、どちらだったか。とにかくまたしばらく鼻をつまみ、止血をした。
鼻血が収まると、靴を履き、最後にギフトショップだけ少し覗いて、チャリスウェルを後にした。私には霊的な能力はなにもないけれど、何も感じないなりに、「良い気が流れていた。良い気をもらった」ような気になれる場所だった。靴を履いた後もしばらくは、足の裏に芝の柔らかな感触が残っていた。

チャリスウェルから歩いて街のハイストリートへと向かった。夕方17時過ぎということもあり、多くの店が既に閉まっていた。閉じられた扉から少し中を覗いただけでも、タロット、パワーストーン、キャンドル、天使やブッダの置物、宗教シンボルなど、怪しげなものがたくさん見えた。グラストンベリーは、街全体がパワースポットとして知られているため、そういうたぐいの店が集まっているのだ。
数少ないまだ営業しているお店のひとつに入った。そこはアロマグッズを扱うお店だった。壁一面に整頓して並べられたアロマオイルの中からなんとなく目についたものを手に取り、ふたを開け、匂いを確かめてみた。あまり好みではなかった。何本かのオイルの香りを試してみたけれど、私の直感に訴えかけてくるものはなかった。そのときの私はアロマオイルを必要としていない、ということだったのだろう。
娘に「そういえば、あなたは鼻が利くのだから、心地よいと感じる香りのものがあれば、それを買ってみるのもいいかもよ」と提案してみた。鼻血をよく出す娘は、人一倍敏感な嗅覚を持っているのだ。そしていくつかのオイルを試した娘が「これ好きかも」と言ったオイルのボトルには、“ENERGY”と書いてあった。ここしばらく心身ともに弱っていた娘が「これ好き」と感じた、つまり、今の彼女が必要だと感じた香りがENERGYだったことに、深く納得がいった。私はそれを娘のために購入し、「疲れたなと思ったときとか、必要だと感じたときにその香りをかいだらいいよ」と言って渡した。「ありがとう」と言って彼女はそれを鞄にしまった。

アロマの店を出ると「お腹すいた」と娘が言ったので、通りに飲食店があるかどうか見てみようと、私たちは再び歩きだした。カフェは数点あったものの、どのお店も既に閉まっていた。この街のお店は総じて閉店が速いようだ。通りの端にようやく営業しているパブを見つけたものの、ビールを飲みたいわけでも、チップスを食べたいわけでもなかった私たちに、そのパブはあまり魅力的に映らなかった。
仕方がないから、スーパーでなにかお惣菜でも買って、宿に帰って部屋で食べよう、ということにした。通りを来た方へ戻り、目指すスーパーが見えたそのとき、インド料理のスパイスの香りがした。先ほどのアロマの香りには全く直感を刺激されなかった私の脳が、一気に刺激された。スーパーの通りを挟んで向かい側にインド料理屋があった。「いい匂い。カレーにする?とりあえず両方見てから決める?」と言って、私と娘は先にスーパーを訪れた。サンドイッチやフムス、コールスローなどが冷蔵庫に陳列されていたが、さほど食べたいと思うものがなかったので、結局、インド料理屋へ行くことにした。しかし、店内で食べるよりも娘は宿に戻りたかったようなので、テイクアウト(イギリスではテイクアウェイという)でカレーとタンドーリチキンを注文した。
料理が出来上がるのを待っている間、今晩の飲み物と翌日の朝食を買うために、私たちは再び目の前のスーパーへ戻った。Earthfareという名のそのスーパーは、オーガニック系商品を中心に取り扱っていた。訪れている客も“そういう雰囲気”の人が多かった。私と娘はそれぞれに商品を選び、レジに並んだ。
前に並んでいた女性の後ろ姿にくぎ付けになった。年齢により細く薄くなったと思われる後頭部の髪が、ハート形に刈り取られていた。鮮やかな黄色地に花柄のシャツを着た背中には、白い水玉模様のついた赤いキノコのリュックを背負っていた。なんてチャーミングでエナジェティックな後ろ姿だろうと、思わず隠し撮りをしてしまった。その写真は今、見返しても素敵だなぁと思う。レジで会計を済ませ、インド料理屋でカレーを受け取り、私たちは宿に向かった。

宿に着くと、玄関ポーチに置いた鞄は家の中へと運ばれていた。ホストのヒラリーという女性が現れ、「ようこそ」と迎えてくれた。二階の部屋へと案内された。シングルベッドが一つ、二段ベッドが一つとローテーブルが置かれた部屋だった。広くはないけれど、清潔で居心地のよさそうな部屋だった。部屋に、一匹の猫がするりと入ってきた。「ジャスパーよ。ゲストに挨拶するのが好きなのよ」とヒラリーが教えてくれた。ホストキャットの鏡だ。ハチワレ模様だったので、「日本だとこういう額の模様を“ハチワレ”と言います」と伝えると、「じゃああなたの新しい名前は“ハチ”ね」とヒラリーがジャスパーに言った。ハチだと犬みたいだなと思ったけれど、それは口にはしないでおいた。
ヒラリーが部屋を出ていくと、私たちは夕飯を食べることにした。レモネードとブラッドオレンジジュースでささやかな乾杯をした。チキンカレーとチキンタンドーリを頼んだので、鶏肉ばかりになってしまった。でも、味は美味しかった。食事中にも、娘はまた鼻血を出した。3回目。今度は割とすぐに止まったけれど、そのせいで料理は少し冷めてしまった。両方ともけっこうな大きさのチキンがゴロゴロと入っていたため、全部を食べきることはできなかった。申し訳ないと思いながらも、少し残して捨ててしまった。

夕飯を食べ終えると、部屋に置いてあった電気ケトルでお湯を沸かし、ハーブティーを入れて玄関の外に出た。外のベンチに座って夕日を眺めようと思ったのだ。まっすぐに西に面したその場所からは、真正面に夕日が沈んでいくのが見えた。少しずつ、でも確実に夕日が沈んでいくのが見える。その経過とともに、空の色も変化する。こうして日が沈む様子を真正面から眺めたのはいつぶりだろうか。奈良に住んでいた頃、よく東大寺二月堂に夕日を眺めに行っていた。夕飯を食べ終え、自転車をこいで新大宮から東大寺へとまっすぐ東に向かった。二月堂からは生駒山に沈む夕日がよく見えるのだった。私も娘も、そのことを思い出していた。イングランドの田園風景に沈む夕日を眺めながら、心は奈良の二月堂にいた。夕日が沈むのを見届けてから、部屋へと戻った。少し冷えたので、私は湯船につかったけれど、娘は「体が温まってまた鼻血が出るといやだから」と言って入らなかった。

パジャマに着替えてベッドに入った娘の隣に座り、「今日はあなたが眠るまでマッサージしてあげる」と言って、私は娘の手を取り、指を揉んだり開いたりした。お風呂に入っていないせいもあるが、娘の手は冷たかった。揉んでいくうちに、少し温かくはなったけれど、こどもにしてはちょっと体温が低すぎるんだよなぁと改めて思った。
どれくらいマッサージしていただろうか。気がつくと娘は静かに寝息を立てていた。その顔を見つめながら、私はしばらくそのまま手を握り続けていた。そういえば、娘が幼かった頃、彼女は私と一緒でなければ寝られなかった。眠りに落ちるまで私が隣にいないと、寝られないのだった。手を繋いで寝て、そろそろ寝たかな、と思って手を放そうとすると、「まだ寝てないよ」と言わんばかりに無言で私の手をぎゅっと握り返してくるのだった。そんなこと、すっかり忘れていた。今は私と一緒じゃなきゃ寝られないなんていうことはなくても、彼女にもそんな時期があったのだ。それくらい、本当は繊細で怖がりな娘だったのだ、ということを思い出し、なんだか胸がきゅっとなった。でも、そのことを思い出せてよかった、とその寝顔を見つめながら思った。そっと手を放しても、娘はもう握り返してこなかった。
私も自分のベッドへ行き、目をつぶったけれど、いろいろなことが思い出されて、なんとなく気持ちが高ぶって寝られなかった。その晩、眠りに落ちるまで手を握ることを必要としていたのは、娘ではなくて私だったのかもしれない。
眠れないので、上着を着て、もう一度外に出た。さっき夕焼けに燃えていた空はとっぷりと暮れ、夜のとばりが落ちていた。その真ん中に、煌々と輝く月が出ていた。街灯りも月の光もあったけれど、星も見えた。満天の星空とまではいかないにせよ、ロンドンよりはたくさんの星が見えた。
しばらく一人で月と星を眺め、翌日の予定を考えていた。娘は21時過ぎには眠りに落ちたので、きっと7時頃には目覚めるのではないかと思い、朝、8時頃からグラストンベリートーの丘を登ろうと考えた。そうすれば、まだ静かで人の少ないうちに丘を登り、塔の周りでゆっくりとした時間を過ごせるだろうと。そう自分の中で決めてから、部屋へと戻り、トイレを済ませて再びベッドへともぐりこんだ。その時もすぐには寝付けなかったけれど、もちろん、いつの間にか眠っていた。