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少女のようなおばあちゃん

メアリーと娘の誕生日を一緒に祝おうと思ってお誘いしたものの、メアリーの体調不良で中止になってしまったお茶会。その数日後、いつものキッチンの窓越しにメアリーの姿が見えた。どうやら順調に回復しているようだ。私が彼女の姿を見つめていると、メアリーも私に気が付いた。いつも以上に大きく手を振り、何度も投げキスをしながら「Thank you 」と言っていた。私も手を振り返し、ウインクしながら親指を立ててそれに応えた。彼女の元気な笑顔を久しぶりに見ることができて、本当に安心した。

その後、家族旅行で訪れたパリで、街中を散策しながら何気なく立ち寄ったお店で美味しそうなクッキーを見つけた。ロンドンに戻ったら、またメアリーをお茶に誘って、このクッキーを一緒に食べようと思った。そしてパリ旅行から戻った1週間後、改めてメアリーをお茶に招待した。

前回来てくれたときもそうだったが、彼女は約束の時間きっちりにやって来た。玄関を開けると、いつもの優しい笑顔とビッグハグがあった。「この前は突然キャンセルしてしまってごめんなさいね。その前の週に結婚式のパーティで食べたエビが原因だったんじゃないかと思うんだけれど、本当に苦しかったわ。もうエビは食べないことにするわ」と先日のお茶会キャンセルのいきさつについて教えてくれた。食あたりは、私でもかなり辛いので、80歳を迎えたメアリーには相当に苦しかったことだろう。けれど、こうして無事に回復し、元気に遊びに来てくれて本当に嬉しい。立ったままどんどん話し続けようとするメアリーに椅子を勧め、座ってもらった。コーヒーも紅茶も飲まないという彼女には、りんごジュースを用意しておいた。そして、パリで買ったクッキーを出しながら、パリに行ってきたことを話したら、メアリーは「私はパリに行ったことないのよ」と言っていた。日本人駐在員の友人たちが、当たり前のように休暇ごとにあちこちと海外旅行をする話を聞いているので、私よりずっと長くロンドンに住んでいる彼女が、ロンドンから電車で2時間で行けるパリに行ったことがないということが意外なような気がしたけれど、よくよく考えると、あちこち行き過ぎる駐在員の方が普通じゃないんだろう。それはさておき、パリで買ってきたクッキーは、メアリーの口に合ったようで「まぁ、美味しいわね!このクッキー!」と喜んで食べてくれた。美味しそうに食べるその笑顔が、こちらの頬も緩めてくれる。

「メアリー、あなたが紅茶を飲まないことは知っているんだけれど、ルーブル美術館で買ったこの紅茶、とても香りがいいんです。飲まなくても構わないので、香りだけでも味わってみてください」と言って、こちらもパリで買ってきた紅茶を出した。とても華やかな香りのする紅茶だったので、香りだけでも楽しんでほしいと思ったのだ。すると彼女は「ほんとね、とても良い香り。ちょっと飲んでみるわ」と言って飲んでくれた。「あら、これは味も美味しいわ。この前、『このカモミールティー美味しいの』って言われて飲んだカモミールティーは全然美味しくなかったんだけれど、これは美味しいわ」と言いながらさらにもう一口飲んでくれた。「全然美味しくなかった」と言ったときの“美味しくなさそうな顔”と「これは美味しいわ」と言ったときの“美味しそうな顔”の違いが明白で、彼女の感情表現豊かな表情を見ているだけで楽しかった。

ひと通り互いの近況を伝え合ってから、私はメアリーに一冊の本を手渡した。天皇陛下のご著書『テムズとともに』だ。内容を簡単に説明し、その本の中に、メアリーが昔、働いていたマナー・ハウスの主トム・ホール卿の名前が何度も出てくること、トム・ホール卿だけでなく、奥様やご子息の名前も書かれていることを伝えると、「あぁ、私が日本語を読めたらいいのに!なんと書いてあるかはわからなくても、日本の本の中に彼らの名前が書かれているなんて、なんだか信じられないわ」と、驚きに満ちた表情でページをめくっていた。私は「ホール卿は印鑑を持っておられ、彼の名前は漢字で“富堀”と書かれていたそうです」と言いながら、Tom Hall、富堀、トム・ホールと並べて紙に書いた。メアリーはそれをひとつひとつ指で確認していた。その瞳は、初めて文字を読めるようになった頃のこどものように、本当にキラキラしていた。そしてその紙を「これ、もらって帰ってもいいかしら?」と尋ねられ、もちろんどうぞと応えると、メアリーはまた嬉しそうにそこを切り取り、とても大事なものを扱うように、小さな秘密をしまい込むように、鞄に入れた。そんな彼女の様子を見つめながら『テムズとともに』を読んで良かった、それをメアリーに伝えることができて良かった、と思った。天皇陛下が、私とメアリーの繋がりをさらに深いものにしてくださったように感じた。

メアリーから「◯◯(私の娘)はピアノを習っていると言っていたけど、ここ(リビング)にはピアノはないのね?」と尋ねられ、娘の部屋に置いていると応えたら、「あらそう。あなたのピアノを聞いてみたかったのに」と言うので、代わりに7月にあったピアノの発表会の動画を見てもらうことにした。娘は「え〜」と恥ずかしそうにしていたけれど、「メアリーにとってはあんたはもはや孫みたいなもんなんだから、孫の成長する姿を見せてあげなあかんでしょ」と無理矢理言い聞かせた。娘の演奏を視聴し始めた彼女が、今まで見た中で1番驚いた表情になっていた。「これ、あなたなの?すごいわ。なんて素晴らしい才能なのかしら!」と目一杯に褒めてくれるので、娘は嬉し恥ずかしといった感じだった。こちらの人は相手を褒めるのがとても上手だ。どこまでが本心なのかわからないことも多いが(皮肉だったりすることもあるらしい)、メアリーの場合は、心からその言葉を発してくれていることが、表情や声から感じられる。こんなにも温かい眼差しを向けてくれる隣人がいることは、なんと幸せなことだろうか。

2時間ほどいろんな話をして、メアリーは帰っていった。帰り際「今日はお招きありがとう。うちにも、またいつでもいらっしゃい」と言ってハグをしてくれた。彼女のハグを受けると、“包容力”という言葉をそのまま体感している気分になる。私という存在を温かく包んで、全てを受け止めてくれるハグなのだ。もはやメアリーは、私たちの中で本当のおばあちゃんのような存在だ。本物の祖母たちは日本にいて会えない分、すぐ隣りにいるおばあちゃんに、これからも甘えさせてもらえたらと、心から願っている。ちいさな女の子のように感情豊かなおばあちゃん、メアリーの表情をいつまでも見ていたい。