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インプットとアウトプットのバランスについて。

今日は久しぶりに、noteに書きたいことがない。

スマホのメモ帳には、noteで書こうと思って書き溜めているネタがまだまだたくさん残っているのに、今日「書きたい!」と思うネタがない。

だから、なぜ「noteを書きたいと思わない」のかを考えてみた。(とういことで、それについて書こうと思う。笑)

誰がいつ言っていたのか完全に忘れたが、以前こんなことを聞いたことがある。

「インプットの量とアウトプットの量は比例するんだよ」

これは、“べき論”はもちろん“である論”にも当てはまると思っている。

どういうことか説明する。

まず“べき論”として、
「知識や情報をインプットするだけでなく、アウトプットしないと身につかないので両方やるべき!」
「知識や情報をインプットしないとアウトプットの質が高まらないので、バランス良くやるべき!」
といった主張は、世の中に溢れているし、たしかにその通りだと思う。

だけど、自分の意思としても自然とそう“である論”になる気がしている。

本を一冊読んだ後、映画を一本観た後、わたしは今自分に入ってきた目まぐるしい情報と、それについての自分の気持ちを、整理したくなる。

ここで整理をしないと、なんだかわかったような気になって満足して、寝て起きた頃には記憶から消えている。(せっかく高いお金を払って観た映画の結末さえ忘れていることがある!)

逆に、アウトプットばかりしていると、どんどん主観的になっていくし、薄っぺらい自分の知識にいやでも気づくことになる。

今、わたしはまさにこの状態なのだ。

noteを書き続けて3週間が経った。
日記すら書き続けられないわたしの性格からして、こんなに毎日長文で、日々感じたり考えたりしていることを書き続けているのは、初めての経験だ。

少し、アウトプットの量がインプットの量とのバランスを崩してしまっているらしい。

何かを書きたい気持ちより、本を読んだりアマプラで映画を観たい気持ちの方が断然強くなっているのだ。

そして、なんと、タイミングが良いことに、ちょうど今日から1週間の夏休み。

暇な時間がたくさんできるので、
アウトプットの場であるnoteは続けながら、今やりたいと思っているインプットの時間も、我慢することなく取ろうと思う。

そして、夏休みに読んだ本や観た映画の感想を、またnoteに綴らせてほしい。

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