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これまでの自分へ、これからの自分へ

〜はじめに〜
 これはこれまでの社会人生活を振り返ると共に、これから新たな人生を歩む自分へのエールであり、人生に再び迷った時の道標である。

〜転職とその経緯〜
 2022年12月、大学卒業以来4年9ヶ月もの間勤めた会社を退職した。自分の人生における大切な軸が『自分の愛する土地で、地域との繋がりを大切にしながら生きていき、またそこに住んでいる自分に誇りを持ちながら生きていきたい』というものであることに気づき、それを叶えるために転職を決断した。この軸は社会人になってからの三箇所での経験を経て形作られた。①広島での2年半、②山形での1年間、③大阪での約1年間の3箇所での経験だ。

〜社会人生活を振り返る〜
①広島での2年半
 大学卒業後、広島の田舎にある某食品会社に入社した。会社近くの瀬戸内海の風景に心打たれたこと、知っているブランドであり、イメージの良い食品会社だったことがその理由だ
 仕事の面では工場の事務に配属され、取引先や社内の各部署と綿密に連携を取り、自分で言うのもなんだがかなり上手くやっていたと思う。
 プライベートでは自分の愛する地で生活していたこともあり、瀬戸内海の風景を撮るなどし、趣味の写真撮影を存分に楽しんでいた。また、しまなみ海道へのアクセスも良く、もうひとつの趣味であるサイクリングもやっていて、より一層瀬戸内のこの風景を、空気を、ここで生活しこの土地を愛している自分自身を好きになっていった。風景が好きなのも大きかったが、この広島の、瀬戸内の地が、生まれて初めて自分で選んだ自分の居場所だったという事も大きかったのだと思う。

  ここで2年半ほど過ごしたのち、山形へ異動となった。好きな土地を離れる寂しさと同時に、新たな景色を知れる喜びと、キャリアアップへの期待も混ざりつつ、東北へと飛び立った。

②山形での1年間
 山形では職種は前と同じ工場事務に配属となったため、仕事面では問題なくすぐに馴染むことができた。東北の地は他の地域との往来が少なく、特に冬には毎日雪が降り積もるような閉じられたコミュニティだからだろうか、とても暖かい人間関係を築くことができたと思う。
 プライベートでは東北特有の広い土地と積雪した山容に心惹かれ、息を飲むような美しい景色に何度もカメラのシャッターを押した。さらにはスキーに1年の間に20回ほど行き、滑り終わったあとは温泉に入り身体を癒すといった日々を過ごしていた。こんな生活の中で次第に僕は東北の地を大切に思うようになっていった。第3の故郷と言ってもいいくらい、この土地を、人を、好きになっていた。

  そして山形に来てわずか1年後、今度は大阪営業所への異動を言い渡される。

③大阪での1年間
 仕事面では、かなりんしんどい1年間だった。というのも、職種が事務から営業職へ変更になり右も左も分からない中、激務へ放り出されることになったためだ。前任者は僕の着任5日後に退職し、慢性的に人員不足の環境で教育体制も整っておらず、精神も体力もすり減らすようにただただ生きていた。自分の精神の核が削られ始めたのを感じ、精神科で適応障害の診断書を貰い、異動後2ヶ月で休職することに決めた。復職後は営業職のサポート兼研修という形で残りの期間を過ごしたが、この職は自分に合わないこと、頑張った先で元の職種に戻れる保証もないことから、これ以上この会社で働き続けるモチベーションが無くなっていった。
 プライベート面では、人生で初めて大都会に住むことになりずっと疎外感を感じていた。ただここは自分の居場所ではないということだけは分かっていた。なんというか、ジグソーパズルのピースがどこにもはまらず、そもそも合わせようとしているのはクロスワードパズルだったというような、そんな居心地の悪さをずっと感じていた。仕事の面も相まって、自分の存在が小さくなっていく気がした。趣味の写真も身近に撮りたい風景が無く、関西圏をあちこち回って美しい風景を撮っても自分の生きている場所を撮っている感覚はなく、単に観光地を撮っているという感覚で、そこで撮っている自分自身のことは好きになれなかった。
 大阪では苦しい時間を多く過ごしたが、趣味の写真で自分が本当に撮りたいものは単なる「美しい景色」なのではなく、自分が心から大切に思う場所での一場面を切り取ることの方が大事なのだと、そのストーリーこそが肝心なのだと気づけたのは大きい成果だったなと思う。

〜自分の好きな土地で生きるため〜
 広島、山形、大阪と過ごしてきて、自分の生きる上で大切な軸が、生きているその場所を愛せるか、そこが誰かの場所ではなく自分の居場所だと感じることが出来るか、そこで生きている自分を好きになれるかが大切なんだと気づくことができた。今の会社では制度上転勤は避けられず、自分の価値観と大きくバッティングしているため、元いた瀬戸内の町の別の企業へ転職することに決めた。

〜これまでの自分へ〜
 大阪での一年はしんどかったと思う。ただこれまでただなんとなくあるがままで生きてきた自分を見つめ直す良いきっかけにはなったんじゃないかな。退職発表から最終出勤までの間に、たくさんの人から頂いた言葉を、その事実を忘れないように生きていこうと思う。真面目に頑張っていた自分に感謝してます。思い描いていた人生とは少し違うかもしれないけれど、僕は今、やっと、ピースがハマった気分です。ありがとう、お疲れ様。

〜これからの自分へ〜
 引っ越してきてまだ数日だけど『帰ってきた、ようやく自分の居場所に帰ってきた』という気持ちで胸がいっぱいです。生きる活力が心の底から湧き上がって来るのを感じています。多分この気持ちがあれば、この先どんな困難があろうとも、乗り越えることが出来ると思う。少なくとも今向いている方向が、自分にとっての一番の幸せに近づける方向だと確信しています。これからは全くの新しい分野、新しい職種への挑戦になるけれど、自分の生きたい生き方をするためにはそれなりの努力が、実力が必要です。それは身をもって体験したと思います。だからこそ努力を怠ることなく、自分のありたい姿、理想へと少しでも近づけるように頑張ってください。

最後に自分へこの言葉を、歌詞を贈ります。
「おかえりなさい 思い出に
振り向くのも 変わることも 弱さじゃない
おかえりなさい わかってるよ
何も言わず 何も訊かず 君をそっと抱きしめよう」

ではまた。

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