見出し画像

おっちんバーグさんへ

<はじめに>
 先日、記事コメント頂いて本当に嬉しかったです。僕はごくごく普通の人で、ただ少しだけ、人よりも自尊心が強く、やりたいことに忠実に生きていきたいと思って、「そう思うようになって」、今があります。自分が歩いている方が前だと信じて(というより実際そうだと思いますが)、今を生きています。

 おっちんバーグさんのことは、noteでの数百、数千文字分しか知りませんが(繋がった経緯を覚えておらず、SNS経由とかだったらすみません)、なんとなくほんの少し前の自分と重ねてしまう部分もあり、少しでも考え方の参考になればと思い、メッセージを送らせていただきます。自分自身は今、前よりも幸せだなと感じるところもあり、生存者バイアスが掛かっていると思いますし、上から目線に感じる部分もあるかもしれませんがそういう意図は決してありませんし、考えを押し付けたいわけではなく、こういう考えもあるんだよという意味合いで受け取っていただけたら幸いです。

<本文>
 僕も数年前まで都会に住んでいました。当時書いた記事がこちらになります。

 当時の状況・心境を少し深堀りしてみると、田舎の工場から大都会の営業に急遽配属され、価格改定もいきなり任され、人事や会社への不信感が大きくなり、さらにもとより田舎の自然が好きだったこともあり、ただただしんどい日々が続いていました。過去の記事の中に「ずっと疎外感を感じていた。ただここは自分の居場所ではないということだけは分かっていた。なんというか、ジグソーパズルのピースがどこにもはまらず、そもそも合わせようとしているのはクロスワードパズルだったというような、そんな居心地の悪さをずっと感じていた。」という言葉を書いていましたが、まさにそんなかんじでした。自分の存在がどんどん小さくなっていくように、また代替可能なものになっているように思えていました。
 ただ、いま落ち着いて振り返って思うのは、都会嫌いに自ら拍車をかけ、「自分は1年で絶対広島に戻る」と意固地に考え、周りとの関係を極力深めないように、壁を作っていたようにも思います。ピースがはまらないというよりも、ピースをはめようとしない、合わせようとしていなかった事実もまたあるのかなと思います。でも当時の自分にはそうするより他なかったと思いますし、無理にピースをはめようとして、ほんとになりたい自分になれていたかと言われると、決してそうではないと思います。ただもし仮に当時の自分のまんま好きな土地に戻ったとしても、結局地元の人とつながりを持たずに塞ぎ込んでいたのかもしれません。実際に引っ越してすぐは関わりをそこまで持っていませんでしたし笑。

 僕は以前はなんでもできるという可能性を抱えて生きるのが好きだったのですが、結局消去法でものを選んだり、選ばないことで流れに身を任せていた節がありました。高校は幅が利く公立高校の普通科、大学は将来教員になる可能性も考え、会社員にも教員にもなりやすい学部にしました。でも結局教員という狭まった世界に入るのが怖く、普通の会社員になりました(もちろん待遇が、というところもありましたが)。しかし社会人になり就職先での人事異動が重なり、気づいたときには自分の人生すらも会社の人事に握られ委ねてしまっていたのだという現実しか僕には残っていませんでした。これに気づいたときは愕然としました。「葬送のフリーレン」という漫画で長命のエルフであるフリーレンが、人間の死を前に「人間の寿命は短いってわかっていたのに、なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」という言葉がありますが、僕の心境も似たもので「自分の人生は自分のものでしかないのに、一度きりなのに、なんでもっと真剣に考えて来なかったんだろう」という後悔がありました(自分の考えなんて経験で大きく変わるものですから、当時の選択は当時の時点では最良だったと思うしかないよなと今は思っています。後悔するということは、昔よりも今の自分のほうが精神的に成熟してきた証拠だとも思いますし)。

 このままではほんとうにだめだと思ったときに、白紙のノートに、自分を中心としたマインドマップを作成しました。これまでの自分の人生のなかで関わった土地、人、食べ物、生き物、心に残ったもの、趣味etc…、それに対する自分の想いなどをひたすら書き込み、自分の好きなものであったり、人生で大切にしている価値観を考えました。そしていずれ自分が成し遂げたいこと、そんな大層なものでもなくてもどんな人間でありたいか(地域愛を持っていること、思いやりのある人、とかそんなレベルです)ということを文字に書き起こしました。そして自分の今の人生(仕事や生活)の現状、メリットやデメリット、自分の気持ちを書き出して、この生活を続けたとしてありたい自分になれるかを考え、「やっぱり広島に戻りたい、いや、戻るべきだ!」と考え、初めて転職しました。

 最近思うのは「自分の人生は自分のもので、自分しか大切にできないのだから、選ばないことで残ったものよりも、自らはっきりと意思を持って選んだ先に待っていたものに囲まれて生きていきたい」ということです。消去法で選ばざるを得ないときもあるとは思いますが、その時もリミットが来て流されるように選ぶのではなく、自らその選択肢に飛び込んで行きたいと思っています。この選択肢の積み上がった先に、本当の意味での自分の人生が待っている(というよりも自分で自分の人生を作り上げるという感覚のほうが近いかもですね)と私は信じています。誤った選択だったと後から分かるかもしれませんが、自分の選択なので「失敗しちゃったなアホだったな笑」と割り切れるようなそんな気がします。

 少し話がそれますが、GWに実家に帰ったとき父の庭仕事を手伝いました。その時に軽い石と重い石をごちゃまぜになった中から選別する作業をやりました(なかなか大変でした)。もちろん石は生きていないので、そのまま置いておいても分かれることはありませんが、揺すってあげると重い石は下に、軽い石は上に上がってくるので選別が楽になりました。
 何が言いたいかというと、人生や人間関係も同じで、ノーアクションでとどまっていては重い石も軽い石も隣り合わせで、合わないことが多いのかなと。その状況を変えるためには、やはり動いて振動を与えることで自分に合うところやグループに属することができるのかなと。仮に軽い石でも下に、重い石でも上に行きたい思うなら、人間であれば勉強したり、趣味を極めたり、もっと人にフランクに話しかけたりして、ありたい自分に変え、重みを調整すればいいのかなと思います。僕の1社目は時間・給与・人は良かったですが土地が合わず、2社目は時間・土地は合っていましたが給与と人が合わず、3社目は時間は減ったけど、土地・給与・人はあっているかなといった感じに今は落ち着きました。1→2社目は自分の価値観を前述のようにノートに書き出して、それに極力合うように転職しました。2社目の間は資格を沢山取りました。3社目での就職にはなんにも関係ない資格でしたが、その資格を取ったという自分の頑張りに対する自尊心の向上・自身が重みとなって、今近しい考えの人達と一緒に過ごすことができてるのかなと振り返って思います。(※転職を推奨しているわけではないことはご留意ください。あくまで自分の行きたい方向へ進むために、僕の場合は転職が必要だったということです。)

 こちらの記事に頂いたコメントの中で「何かと先を歩かれているからつむりさんの姿がとても心強いです」と言っていただけて本当に嬉しかったです。だからこそ、誤解のないように今回この記事を、メッセージを送らせていただきました。コメントするのって勇気がいることで、それは多分いまの生活に疑問をお持ちで、しんどくて、そのなかで僕の記事を読んでくださって、多分今必死に動こうと、揺すろうとされているところなのかなと推察しております。揺するのには、もしくは自分の重みを調整するには、それなりのエネルギーと時間がいります。一度揺すっただけでは大きく動かないことだってあるかもしれません。でも庭に撒いた石が、時間が経ち雨に打たれて次第に重いものは土に埋もれ、軽いものは上に上がってくるように、ほんの少しの振動の積み重ねが、あるべき場所へと連れて行ってくれるのだと私は思っています。

 長々とまとまりのない文章になってしまいましたが、ありたい自分を生涯をかけて考え続けること、自ら選択し続けること、自らありたい方向に向かって行動し続けることが大切なのだろうなと考えています。しんどいし大変だし面倒ですけどね。。。

 最後にはなりますが、私の大好きな曲、人生の指針にもなっているこの曲を、他の誰でもないおっちんバーグさんに贈らせていただきます。最後まで読んでいただきありがとうございました。お互いに自分の人生の舵を取り、長い航路を進んでいきましょう。


挑め
まだ見たことない自分へ
何者にでも変われる
諦めかけていた運命の向こうへ
進めそれが全てさ
本当のスタートラインさ

- sumika/「センス・オブ・ワンダー」


記 2024年5月 からつむり



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?