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転職して年収が150万円下がった話

150万円あれば何ができるだろうか。

150万円を365日で割ると1日あたり4千円、毎日お気に入りのお店で外食することもできるし、映画なら毎日2本見ることも可能な金額だ。旅行であれば1泊1万円、移動や食事に2万円使ったとしても50泊分程度の旅行ができる。時間さえ許せば日本一周だって可能だろう。車なら普通車は難しいが、軽自動車なら新車での購入も見えてくる。それぐらいの金額だ。

僕は去年の春に転職し、年収が150万円ほど下がった。元の会社も特段よい収入だった訳では無く、ごくごく普通の食品企業の総合職だった。自分の愛する土地で生きるため、100万円程度は犠牲にしてもなんとかなるかと思って転職したが、実際には面接時に聞いていた額面から50万円ほど低かったためにこの金額となった。入社前に具体的な雇用条件をあらかじめ書面で提示してもらわなかったことを後悔している。

実は今年の春に再度転職する予定で、今の状況からようやく抜け出せる目処が立ったため、このnoteで1年の経験やそこから考えたことなどをまとめてみたいと思う。長くなるかもしれないがお付き合いいただけたらと思う。

《目次》
1.転職の経緯
2.転職前後の変化
       -仕事面
       -私生活面
3.気づいたこと
  -人生について
  -お金について
  -仕事について
4.これからの生き方

1.転職の経緯
転職に至った詳しい経緯は転職前に記した記事(リンク:これまでの自分へ、これからの自分へ)に書いてある。要約すると、度重なる転勤と部署異動を重ねるなかで『自分の愛する土地で、地域との繋がりを大切にしながら生きていき、またそこに住んでいる自分に誇りを持ちながら生きていきたい』と思うようになり、広島にある小さな分析会社に転職したという流れになる。

2.転職前後の変化
<仕事面>
転職前は取引先とコミュニケーションを取るのが仕事だったが、現在では水質検査業務を行っている。おそらく一日の会話量は以前の1/1000くらいだろう。分析作業は毎日同じような手順でサンプルを処理すれば良いのでかなり楽な作業だ。待ち時間中には自由に行動でき、スマホも見ても問題ない。残業時間も以前は月40時間ほどあったが、今ではほぼない状態だ。同僚については以前の職場では自分と同じように国立大卒レベルの人が多く、やる気もある人間が多かったが、現在の職場の同僚は地元の高校を卒業し、理系とは無縁の専門学校や私大に入り、就職したような人たちだ。分析会社ではあるが中学理科でさえ怪しい人もいるのが現状だ。自分の知識レベルとの差に愕然とした。「なんで自分はこの人たちと同じような給料で働いているんだ?」という思いがつのっていった。またこれまで自分と近い経歴や価値観の人と過ごしてきたため、知らず知らずのうちにタコツボの奥に入り込み、視野が狭くなっていたことにも気付かされた。いくら田舎だとはいえ、分析会社というからにはそれ相応の知識はあるだろうというバイアスがかかっていた。

転職して3ヶ月ほど経った頃から、強い虚無感に襲われるようになった。以前より仕事量が減り、時間はできたが、やりがいはあまりなかった。給料もなかった。これから先の、思い描くにしてもあまりに単調すぎて3秒で終わるような将来を憂い、自分の人生に飽きがきてしまった。一種の燃え尽き症候群のようなものだったのだと思う。「映画の主人公のその後の生活は単調で物語にはならない。エンドロール後に一枚絵が有るくらいがちょうどいいのだ。」だなんて思ったりしていた。またはゲームクリア後のミニゲームを惰性で消化しているようなそんな感覚があった。

このままでは自分の人生が本当に終わってしまうという焦りから、分析の空き時間や仕事終わりには資格試験の勉強をするようになった。まだ自分の心は燃え尽きてはおらず、小さな火種が残っていたのだ。今思えば、このときに同僚達のように空き時間に漫画やYoutube、ポケGoばかりやっていなくてよかったと心から思う(※余談では有るが、これは単に同僚を批判しているわけではなく、それを許している管理職や給与が職能に比例しないシステムのほうに大きな責任があると思っている。)。そしてITパスポートや危険物乙4、公害防止管理者水質1種、毒物劇物取扱者の資格試験を受け合格した。特に公害防止管理者試験は比較的難易度が高く、一発合格の合格率は10%程度・勉強時間は150時間とも言われていたりする。そんな中80時間で一発合格できたのは嬉しかったし、久しぶりに自分に自信が持てた。そして自分はこの給料で働きつづけるのは納得できないし、よりふさわしい場所があるはずだという思いが強くなっていった。

<私生活面>
仕事面はなんともフラットな、脈のない心電図のような日々を送っていたが、私生活面では比較的充実していた。平均年齢70歳くらいの地域のボランティアに唯一の20代(30代、40代もいないけれど)として参加し、爺や達と一緒に山で芝刈りをするようになった。今では期待のエースだ。食事についてはもともと料理するのが好きだったのもあり、そうしなければ家計が崩壊するという切実な状況もあり、だいたい毎日自炊してきた。会社帰りには近所のスーパー(日曜が定休、18時半に閉店する)に寄り、お店のおばあちゃんとレジの会計のときに今日の晩御飯について話すような仲になった。また遊びに来た友人をもてなし、地元のお気に入りスポットを紹介したりもした。近くには恋人が住んでいて、以前は2,3ヶ月に一度しか会えなかったが、今では毎週会うこともでき、先日にはプロポーズを受けてくれて婚約の運びとなった。転職にあたって考えていた『自分の愛する土地で、地域との繋がりを大切にしながら生きていき、またそこに住んでいる自分に誇りを持ちながら生きていきたい』という思いを形にできたように思う。収入は下がったが、以前のように会社の人事に住む土地やそれに関わる自分の人生を握られ、指定されるような生き方と比べたら遥かに気が楽だった。もし仮に過去に戻れたとしても同じ選択をしただろうと僕は思う。

ただやはり収入の少なさから、以前はよく行っていたコンビニやマックには物価上昇も相まって気軽に寄れなくなった。スーパーでは半額シールのものを買い、そこから献立を考えたりもした。散髪も690円で切ってもらえる店に行き、趣味の読書も図書館やメルカリをよく利用するようになった。映画は前ほど見れなくなった。もちろん保険やサブスクなどの固定費も削減した。帰省もより安く帰れるように工夫し、旅行は前よりも回数を減らした。節約する術は手に入れたが、その分心の余裕が少しなくなったのも事実だ。ただこれだけのことをしなければ収支はマイナスになっていただろうし、このままではまともに家庭を持つことはできない、そんな状況だった。

3.気づいたこと
ジェットコースターのような収入の下がり方と、突然できた大量の時間から、人生やお金、仕事について下記のように考えるようになった。

<人生について>
・人生は1度きりなため、今この瞬間が何よりも大切で、お金を払ってでも自分の生きたい方向に向けて歩き出した方が幸せになれる。僕にとっては自分の愛する土地で生きることがそれだった。
・人生何があるか分からない。自分が幸せでいられる最低限の条件を考えておけば、そこを軸に自分の人生を再考できる。転職前に記したnoteを読み返し、何度助けられただろうか。転職で失敗した部分もあったが、守れたものの方が大きいことを認識し直すことができた。

<お金について>
・自分の支出を見直し、一体いくらあれば好きな生き方ができるかを考えれば、より具体的に自分の幸せの基準が見えてくると思う。僕はもう少し食費や交際費、趣味などに使えるお金を増やしたかったし、やるやらないは別としてそれができる可能性を抱えて生きていたかった。お金が無いと可能性の幅を限定するように思考するようになる。実際最近はネットで面白そうな話題を見かけても、気にならないように情報をシャットアウトするようになっていたように思う。
・給与はその人の能力よりも業界自体に格差があることは重々承知しているが、やはり自分自身への値付けでもあるわけで、今の生活と将来を考えられる分くらいには収入が無いと、自信やプライドを損なうことになる。
・給与が低ければそこに集まる人の質が下がることを身をもって体験した。パチンコで金を溶かして一日に5回ATMを使い、手数料をたくさん取られたといった話を職場の人から聞いた。自分自身もまた仕事へのモチベーションをなくし、適当に働くようになった。
・この一年で自分の時間やなけなしのお金をどう使うかをよく考えるようになった。その中で、やはり自分の大切な家族や友人など他者のために使うことが自分自身の幸福度を高めることに気づいた。昔の自分もそう思ってはいたがより切実にそう思うようになった。誰かに気をかけてもらったとき、前よりもずっと心の奥底から感謝できるようになったと思う。

<仕事について>
・単純作業な仕事は楽だが、楽なだけだということがわかった。自分の生活を豊かに彩る知識や能力開発には繋がらないし、やりがいも少ない。収入も低い。本業以外の副業やプライベートでやりたいことがある人にとってはいいかもしれないが。
・仕事以外で、リスクを取ってまでやりたいことが自分には今のところないことがわかった。転職して時間ができたが、一番の趣味の写真で副業などはどうしてもやる気が起きなかった。それが見つからないうちはある程度のやりたい方向性の仕事で、ある程度の能力開発もできて、ある程度のお金を安定して稼げる会社員として生きて行くのがベターだという結論に達した。働かずとも生活が保障される世の中であれば働かずに趣味をやったり、地域貢献して生きていきたいところではあるが。

4.これからの生き方
・仕事面では、単純作業よりも人と話す仕事がメインになる予定だ。もともと自分には知らない世界を知りたいという欲求や、人から直接感謝されたいという欲求が少なからずある。次の会社では、以前の会社で実際にやっていた資材購買などの工場事務系の仕事をさせてもらえることになっている。どちらの欲求も満たしやすい仕事内容だと思っている。また会社経営により近いところで働き、能力を高め、今後の糧にしておきたい気持ちもある。休みは残念ながら減ってしまうがその分給料は上がる。自分の好きな場所に住めて、自分の身になる仕事ができそうである。今度こそ最後の転職先になればと思っている。もちろん、雇用条件はメールにてあらかじめ提示してもらっている。
・私生活面では引き続き、自分の愛する土地で地域の人との関わりを持ちながら誇りを持って生きていきたいと思う。この価値観は自分にとってやはり何より大切だということに確信をもてた。ボランティア活動では会員の超高齢化が深刻であるため、活動内容の情報発信や新規会員の募集が自分自身の責務だと感じている。仕事や結婚などでこれから忙しくなるため、どこまでやれるかが課題になりそうだ。

《最後に》
小中高大就職と、笹舟が川に流されるが如く生きてきた。川から海に流され、荒波を経験した。1度目の転職にあたり自分の将来を真剣に考え航路を探し、舵を切った。そして今2度目の大きな方向転換をしようとしている。自分の意思を強く持ち、舵を取るのは怖さもあるが、自分の人生に自分で責任を持てるということはなんと自由で幸せなことだろうかとも同時に思う。この先の航路が、愛する瀬戸内海のように穏やかで明るく、幸多きものとなるように切に願っている。

記 2024年1月


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