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子どもがいなくてもわたしはわたしらしく生きたらいいんだってそんな強い心持っていられないから、わたしは選挙に行く

※このnoteには妊娠や不妊に関することが記載されています。
気分を害する可能性があるかもしれませんが、わたしの気づきとして書かせていただいたのでご了承ください。

結婚することと、出産することはなんでいつもセットなんだろうと思う。
今年の4月、3回目の流産をし、均衡型相互転座と診断された。

予定日を一週間過ぎ、検査薬は陽性、だが胎盤は確認できない。
「5週目ですか。6週目で確認できなければなんらかの原因があるかもしれないので来週来てください。」
お願いだから無事でいてくれと、長い長い一週間がはじまり、一週間をまたずして出血する。

痩せてるから
基礎体温あげてみたら
追い込みすぎじゃない?

責める理由なんて自分が持っていなくてもいくらでももらえてしまう。
その上自分を責めることは得意な方だからなおさら平常心でなんていられない。
もらう言葉に傷つくのも怖くて、傷ついた自分を癒すこともできなくて
なにか解決策が見えるかもしれないと行った遺伝子検査で均衡型相互転座と診断された。

わたしの診断された均衡型相互転座(きんこうがたそうごてんざ)とは
人は対になった22個の染色体と、XとYの生物学上性別を決める合計24個の染色体によって構成されていて、11番と22番の端っこが切れて入れ替わっているというものだ。

図にするとこんな感じらしい、実際の染色体も22番は少し短かった

形を構成する情報は全体としては入っているため、外見には出てはこないが受け継がれていくとなると話は別らしく、ざっくりすっとばしていうと受精しても育つ可能性が低いというものだ。
詳細を知りたい方は堅苦しいリンクをつけているので見ていただきたい。

子どもがいるということが幸せの象徴ではないし
産めないということが人間としての価値を決めるなんてあってはならないと思っている。
だけど出てきた感情は「やっぱりわたしが問題だったのか。」という責めの感情だった。
自分に対して思えないことは相手に対しても思えない
心底情けないし、恥ずかしかった

先生は事前のヒアリングで簡単な家系図をつくって見せてくれた。
どこから受け継がれてきた遺伝子なのかは分からないが
わたしの染色体は確実にどこからか受け継がれてきたもので
なにかとてつもなく大きなものの中に確かに今存在している自分がいるんだ

ということがすっと自分の中に入ってきて、なぜか気持ちが軽くなった。

大きなものの中の一部であること
そして自分は圧倒的に無力であること

そんななにもできない人間に生きていたって仕方がない
なにもできないなら考えたって仕方がない
きっと捉え方は人それぞれあると思う

だけど今わたしが存在していることは変わらなくて
だから存在している自分を肯定してあげたいし
誰かを責め続けて相手も自分もしんどくなっていく生き方はしたくない

わたしの生きづらさは遺伝子に異常があるということよりも
異常のあるわたしを責めることにある。

結婚しても、しなくても
子を産み育てても、育てなくても
選択することを責められず、責めることもしない
居心地のいい場所がたくさんできるように

選挙に行こうと思う


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