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やわらかい包丁

包丁を研ぎに出した。
駅前のスーパーには月に一度包丁研ぎの人が出店する。その日をみはからって包丁を持っていく。包丁は有次の鋼の菜切りである。今の研ぎ師さんは二十代後半か三十代初めの男性だ。数年前までこの道一筋といった感じの七十代はこえているであろうおじいさんがずっと来ていた。おじいさんの手は関節が曲がり、指紋の溝に黒い色がいつも染み付いていた。数年前からおじいさんではなく、若い方が来るようになった。研ぐのは、もちろん切れるようにするためである。だけれども、このおじいさんとお兄さんとでは研ぎの仕上がりにずいぶん個性があるようだ。

おじいさんの研いだ包丁はとにかく鋭くよく切れた。研ぎたてはまさに剃刀のように、鋭利に切れる。近くにあるとなんでも切れてしまいそうな切れ味だった。研いだ瞬間を頂点として、ひと月使っているうちに次第しだいに切れ味が落ちてくる。わたしはこれが普通だろうと思っていた。若い男性の研いだ包丁は、目が醒める感じではない。あ、切れるけど、手が切れちゃうほどじゃないなと思う。最初はあんまり切れないな、やっぱりおじいさんくらいにならないと難しいのかなと思った。使っているうちにあれ、と思う。びっくりする切れ味はないのにその状態が長持ちする。ゆるやかにずっときもちよく切れ味が持続する。わたしはこの感じが好きだなと思う。

包丁を渡すと、彼は刃先を上にして包丁を目の高さにかざす。じっと鋼の部分を見つめながら、「以前出されたのは先月でしたか?」と聞く。わたしは「はい」とだけ答える。このひと月のわたしがこの包丁から全て伝わってしまうのではないかという緊張感がある。翌日に研ぎ終えた包丁を受け取り、使ってみるとなんというか手紙の返信をもらったような気持ちがする。今月受け取った菜切り包丁は、先月よりやわらかく研がれているように感じた。

野菜の直売所に寄る。毛糸の帽子を被った小柄なおばさんが店番をしている。野菜の種類はそれほど多くはない。ゆっくり野菜を見ていてもあれこれ話しかけないから、安心して野菜を手に取って選ぶ。茎が太く赤や黄のあざやかな色合いの、ごわごわした立派な葉がついている野菜がある。これはなんとかチャービルではないかなと思う。おばさんに聞くと「スイスチャービルっていうのよ」と答えた。スイスの野菜なのですか、と聞いたけれど知らないという。ほうれん草の仲間で味はほうれん草だという。テレビでアイバくんがカルボナーラにしていたよ、と教えてくれる。「あたしは生でサラダなんかにするけど、刺激的な味よお」という。どれほどの刺激なのかちょっと気になってこれも買う。そのほかには大根、ブロッコリ、ほうれん草、菜花などを買う。ひと束がたっぷりしていて、すみずみまで気力が行き渡っているような感じの野菜ばかりだ。おばさんは新聞の朝刊をいちにち分ほども使って大きくそれらを包んでくれた。


お昼にスイスチャービルのサラダを作る。ざくざく刻んで、ゆで卵とトマトと砕いたナッツをかける。オリーブオイルと塩で味をつけた。これにいつものぶどうパンを食べる。スイスチャービルはそれほど刺激的な味だとは思わなかった。おいしくもまずくもない。気力だけは満ち満ちている。食べるとよい気分になった。ぶどうパンは今日もとてもおいしい。


ある種の生き物はくきくきとなめらかではない動きをする。蝶の飛ぶさまや鳩の首などがそうだ。あの動きに名前はあるのだろうか。わたしは子どもの頃から運動が苦手で、今でもちょっと小走りしただけで「運動が不得意そうな動きをしている」と言われる。蝶の飛ぶさまや鳩の首の動きのような静止画像が連なったようなぎくしゃくした動きをわたしもしているに違いない。今日はきっぱりと寒い。飛んでいる蝶は間違えてしまったように、より一層くきくきと動きながらどこかへ飛んでいった。

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