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いつもの町、いつもの空、コントラスト

3つくらいの女の子が、左手をおばあちゃんとつなぎ、毅然と顔を上げ、颯爽と繁華街を歩いていく。白地に水玉模様のワンピースが、リズミカルに揺れる。女の子の右手に掴まれた、くたびれた小さなアンパンマンの人形も、揺れる。

アンパンマンの胴体を握るより、顔を握った方が持ちやすいのだろうか。顔が潰れ、首から下がぶらんぶらんしている。女の子なりの「大切な扱い」を、アンパンマンはきっちり受け止めていた。

アンパンマンを鷲掴みにした女の子と同じ、3つくらいの頃のこと。熱ばかり出す私の、体調が良い日に、親と工作をした記憶がある。図書館から借りた子供向けの工作の本をお手本に、牛乳パックや厚紙で、プロペラのようなものを作った。

出来上がると、私は団地のエントランスへ降り、外階段から落としてもらうのを待った。ゆっくりと回転しながら落ちてくる様子、肌で感じた日射し、本を読んでその通りに出来たことの不思議さが、セットで蘇る。

繁華街を抜け、広場へ出た。日陰が少なく、日射しは強い。日傘をさした女性も多い。サングラスの方もいる。2,3歳の子が、280mlの「りんごあじのなっちゃん」を、逆さまにしてマイクのように持っていた。

ほどなく、大切そうに胸に抱きかかえた。なっちゃんのペットボトルが可愛くて愛おしいのか、暑いからヒンヤリとしたペットボトルが肌に心地よいのか、理由は分からない。小さな子が、280mlのペットボトルを、ひしと抱きかかえる姿が、胸に残った。

幼稚園に上がる前のこと。なっちゃんのペットボトルではないけれど、親のハンドメイドのうさぎのぬいぐるみを、家の中にいる時は、お供にして連れて歩く子だった。

時は流れ、TVゲームが好きで、友達とお互いの家へ行き来する、インドアな中高生に育った。ゲームしながら、あるいは漫画を読みながら、話すことが楽しかった。塾の帰りに語り足りなくて、自転車を止めた。お互いに、話したいことがいくらでもあった。

インドアな少年でも、自転車で片道25kmを走ったり、たまにはキャンプに出かけることもある。親の許可、OK。寝袋入手。友達と約束した日が来るのが、やけに遅く感じられた。もしかしたら、新品の寝袋を抱きしめたかもしれない。幼い日の、ハンドメイドのうさぎのように。

キャンプといっても、特別なことはしない。スーパーで買ったものや、自分たちで用意したおにぎりを持ち寄り、ルールを守って焚き火をし、しゃべるだけ。アルコールとタバコは無し。

話すことは尽きないし、沈黙が訪れてもそれはそれで心地よかった。少しだけ仮眠をとり、夜が明ける前に、それぞれの家へ帰った。帰り道も、ちょっとした冒険だった。

5時半頃だろうか。ささやかな非日常の熱を帯びて、帰宅した。うちの子(犬)が迎えてくれる。「どこ行ってきたの?」と、くんくんかぎながらついてくる。

玄関を開けて日常に戻るのが少し惜しくて、縁側で荷解きし、リュックを枕に、寝袋を広げた。リュックを総点検している、うちの子の呼吸に、風の音が重なる。遠くで犬が吠えている。カラスや鳩の声も聞こえる。他所のお宅で、雨戸を開ける音もする。まもなく、家族も起きてくる。

縁側で寝袋にくるまり見上げた空は、白い月、薄い雲を浮かべた、見慣れた快晴の青空だった。胸の中に残る熱といつもの空の、温度差がどこから来るのか、まだ言葉で捕まえられず、もどかしかった。

Thank you for taking the time to read this.