見出し画像

⛩ 印 内 八 坂 神 社 ⛩

印内八坂神社

先日、5月4日(火)は印内八坂神社へ行ってまいりました❗
今年のゴールデンウィークは天気が不安定な日が続きましたが、唯一5月4日(火)は日光燦々な炎天下でありました🌞

印内八坂神社は、船橋市印内にある八坂神社です⛩
西船橋から徒歩で20分以上掛かります、私はこの辺りに土地勘があるので、まだ良いのですが、住宅街の中の結構マニアックな場所にあります。

近辺の村で疫病が大流行して、その村を疫病から救うために、隣接する光明寺の住職が
享保十八年(1733年)、京都の八坂神社の御神体を分体していただき、印内八坂神社を創建したとのことです。

牛頭天王(ごずてんのう)

祇園精舎の守護神。

北方の海に居た牛頭天王はお嫁さんが欲しいなあ、どいうしたものかと思ってました。
その時、鳩がやってきて来てこう言いました「竜宮城に行けば?」と
それを聞いて南方へと旅立った牛頭天王、その道中にて泊まる宿を探してました。

裕福でお金持ちの巨旦将来のもとへ一夜の宿泊を申し出たが、あっさりと断られてします
途方に暮れて、今度は兄の貧しい蘇民将来のもとへ一夜の宿泊を申し出たのです
巨旦と違い、蘇民は貧しくはありましたが、それでも栗御飯を出すなど精一杯もてなし、泊めてあげました。

やがて牛頭天王は妻を娶り、八人の子供をもうけました。
その八人の子供を連れ、泊めてくれたお礼を言いに蘇民将来のもとへ訪れて、こう言いました
「巨旦のところに身内はいるか?」この質問に対し「妻と娘がいます」と応える蘇民将来
「茅の輪を腰の上につけさせろ」と牛頭天王は言ったので、そのとおりにしました。

その後、牛頭天王は巨旦将来の一族もろとも、疫病で皆殺しにしました。
一方、茅の輪をつけさせた、妻と娘は疫病にかからず助かったというお話。

これが『大祓』という神事のもとになったとも言われてます
茅の輪くぐり」とも呼ばれ、疫病を払う神道儀式です。

牛頭天王は疫病退散の神徳があります。
なお、神仏習合において、素戔嗚尊(スサノオ)と同一視されている。

素戔嗚尊(スサノオ)

私はまだまだ神話は詳しくないのですが、素戔嗚尊と言えば
お姉ちゃんである天照大神(アマノテラス)にウンコを投げつけて、洞窟に巣篭もりさせた張本人でございます(笑)

で、高天原から追放されますが、その後、八岐大蛇を倒して英雄となります。
乱暴者ではあるのですが、正義感は強かったのでしょう💪

日本最古の和歌

さて、ここで一句うたいましょう

八 雲 立 つ
出 雲 八 重 垣
妻 籠 み に
八 重 垣 つ く る
そ の 八 重 垣 を

( やくもたつ
  いづもやえがき
  つまごみに
  やえがきつくる
  そのやえがきを )

参拝

では、参拝しましょう。
ここの主なご神徳は、何と言っても『疫病退散』である。

再建記念

画像1

平成二十五年七月吉日とあるので、再建されてまだ八年も経っていないわけか

一の鳥居

画像2

くぐると木々に覆われています

画像3

中門へ向かい進んでいきましょう

画像4

画像5

右から左へと書かれてますね

画像6

社 神 坂 八

画像7

まっすぐと参道を進んでいきます

御神木

画像8

菊田神社」の御神木は上に一直線
印内八坂神社」の御神木は横に幅広く
と言ったところでしょうか🌳

よしっ、これで今度は質問に自信を持って応えられるぞ

画像9

御神木は「イチョウ」だぜ❗

拝殿

画像10

画像11

画像12

… って

画像13

 鈴 緒 が つ い て い な い(笑)

まあ、コロナ対策でしょうね

光明寺本堂

画像14

画像15

画像16

【船橋名木10選】の一つである『光明寺のヤブツバキ

画像18

もはや傾いているというレベルを通り越してます
ていうか、真横に生えてますね🌺

画像17

もしかして神興庫かな❓

手水舎

画像19

納奉

画像20

太子堂

画像21

こっちは、鈴緒が付いているのね

ここはどこだろう❓

画像22

社務所

画像23

休憩所

画像24

印内八坂神社は、静寂ながらも参拝者におおらかな感じ、
そして、不正は許さないぞという厳しさも持つ、そんな雰囲気の神社でした⛩

なお、グーグルレビューによると、御朱印は近くのタカナカ理容というところで手に入れるとあった。
今度、行ってみようと思う。

【辛島信芳の著書】
IT技術などに興味のある方は、是非ご覧になってください


この記事が参加している募集

#休日のすごし方

54,173件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?