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過去との清算
低気圧と生理の影響か過去に親に言われたこと、されたことが一気にフラッシュバックして襲ってきた。
このnoteは、私が過去の親と清算を付けるための整理ノートだと思って欲しい。
あと、おまけ程度では誰かに理解して欲しいという承認欲求もある。
今の私の環境は心配してくれる優しい友人に恵まれているので、そういったお節介で優しい友人にも私をよく知って貰えるきっかけにもなるかと思う。
私の親は両方ともに良い仕事に就いおり、世間から見たら「裕福な家庭」に見えるのもわかる。
それは親が築き上げてきた見栄によるものだけれど周りからはもちろん判別がつきづらい。
ここからの言葉は私のフラッシュバックの要因であり、今でも苦しめられている言葉である。
似たような環境を持つ人は注意して欲しい。典型的な毒親のセリフが並ぶ為あなたにまでフラッシュバックを起こしてしまう可能性がある。
下記親の言葉。父親からの肉体的精神的暴力は小学生時代が一番酷かった。
・お前なんか産まなければよかった
・なんで生きてるん
・お前には生きる価値ないやろ
・俺が汗水垂らして働いて稼いだ金だからお前が決める権利はない(進路相談時や欲しいものを相談しに行った際)
・悪いことをしたら土下座してごめんなさいやろ
・誠意がない謝罪なんて要らんのじゃ
・謝れや(謝っても満足するまで許されない)
・何があかんのか自分で分からんのか
・あざ作らないだけ優しいお父さんやろ
・家から出ていけ
・俺の働いた金で買った服や、全部脱いで出ていけ
・そんなこともわからんの馬鹿やな
・なんでこんな優秀な両親からお前みたいな出来損ないが生まれたんやろか
・お前ごときが口答えするな
・父親の言うことには黙ってハイやろ
・は?あんなん(上記らの言葉)冗談に決まっとるやん笑
※中学生時代に泣きながら親からの言葉に苦しめられていると訴えた時
父親は癇癪を起こしやすく、自分の要望通りに行かなければ直ぐに手を上げるタイプで話は通じず、恐怖心で周りを従えようとし、自分の責任を他人に転換するように話すのが得意なタイプでした。
怒った時は真冬だろうと真夏だろうと人目がつかない深夜に私をTシャツと短パン1枚(たまに洗剤や水をかけられてから)で外に放り出し「服着させてあげるだけ優しいやろ」と良い真夜中締め出されました。
締め出された時「反省するまで帰ってくるな」が親の言い分でしたが反省したかの判断は親の気分でした。
怒られた時は馬乗りになって殴られたり、車に乗って家族で出かけている時に太ももをつねられたり、殴られるのが怖くて部屋に逃げたらドアを思い切り叩いて「今ここを開けなければ出てきた時にもっと殴るぞ」と脅迫しました。
私の父親は子供をアクセサリーとしか思ってないので「周りに自慢できるかどうか」が要だったのだ思います。
父親が「ウッドデッキで娘のピアノを聞きながらお茶を飲みたいからからんこえにピアノを習わせた」と自信満々に私に伝えてきた時には引きました。私はオルゴールか何かなのかと。なのでピアノが上手くなければ文句を言うし、出来損ないだと罵倒します。
そんなこともあり親のエゴで習わされた習い事は親が共働きなのをいい事に、サボり始めその度に暴力(本人は躾なのでセーフと真剣に思っている)を振るい、その度に疑問や不信感が募りより親の言う事を無視し悪循環に陥っていくだけの小学生時代を送っていました。
私は中学生で心理学を独学で勉強した時に父親は典型的な自己愛性人格障害を持っていると知り、親を子供が介護しなければならないその現実に腹を立て絶望していました。
母親はそんな私に対して
・従順にしとけば楽なのに
・反抗するだけ無駄
・あんたが悪い(から傍観、放置)
・恥さらし
・ホームレスにでもなるんか
・そんな家出する家出するって体でも売って生きていくつもりか
※小学生4年生の頃からは父親に殴られるのが嫌で両親が帰って来る前に冷蔵庫にあるトマトときゅうり(家にある唯一生で食べられる食材だった)をランドセルに詰めて家を出て深夜は公園で一夜過ごしていた
両親ともに世間体を気にして〇〇さんが言うから〜する、〇〇さんが言うから〜辞める、のような軸のない人間だった。
親の言うことを聞かなければご飯がなかったり、廊下で眠らせられたりした事を朝一緒に登校する子に零してた為、「からんこえがご飯が出ないと周りに言うからご飯を出す」みたいな感じ。
世間体>親>>>>私
親は上記の言動を忘れ、私がどれだけ今も苦しんでるかも知らずに「親は子供を愛している」だの「辛くなったら実家に帰ってこい」だの言うけれど、それが機嫌がいい時の本心かもしれないけれど、実家で多くのトラウマを抱えて今も苦しみながら生きている私からすれば実家はただの拷問でしかない。
それをいくら伝えても親には伝わらないのである。
だから私は親には私の気持ちも感情も言うのやめて「元気だよ、最近は〇〇をしているよ」と上辺の報告しかしないのである。
私の居場所は実家にはないと小学生から思い続けているのは今でも同じだ。
それを親は気にもとめない
その姿勢が今でもなお私を「生まれてきた環境は普通なのかもしれない。親は優しいのかもしれない」といった錯覚に陥らせるのである。
だからたまに「毒親」だと他者から認めてもらうもしくは自分で「私の親は毒親」だと口にしないと辛かったはずの実家に自ら足を向けそうになってしまうのだ。
今でもフラッシュバックして泣き出すレベルなのにそれを普通だと思いそうになる自分がいる。
でもこれは過去なのだといつも言い聞かせる。
私は今、実家から離れている。
少ないお金だけれど幸せに生きている。
私を苦しめてきた親は確かに存在するけれど、それは過去だ。
苦しい環境は今はもう続いていない。フラッシュバックは過去の親と対峙している。
現在の親は人格は歪だけれど私を殴りはしない。
私の脳に流れる親の言葉は過去の言葉で今ではない。
過去は過去だ。今は今で、私は今を生きている。
私は今を一生懸命生きている、未来に向けて生きると決意し、努力している。
私は頑張って生きてきた。辛かった環境を克服した。
それは私の努力故だ。私は偉い、頑張った。
私を否定してきた親は今、ここには、居ない。
居ない親の想像はただの空想でしかない。
空想は空想でしかないことを自覚する。
大事なのは今で、今の私は幸せだということ。
今は私が選択肢を見つけて私が選んでいる。
今の私の人生に親はいない。
過去は苦しかった、それを乗り越えるために努力した。
抜け出すことに全力を注いだ。その結果今がある。
私は生きる決意をした。
今を生きている。
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