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できるだけコントロールしないよう

20210111

先日、妻がお父さんのことを話していた。

妻が小学生の高学年くらいだったかのときに、「母さんは全然整理整頓をせん。生理はあるのにな。」と、妻のお母さん(お父さんにとっての妻)に言っていたのだそうな。

昔話として妻は笑って言っていたけど、聴かせてもらったこちらはけっこうな衝撃で、え〜…と軽くひきつつひきつりながら笑った。

シンプルに最低ではあるなあと思ってしまった。

このご時世、各方面から非難を浴びそうな、言葉の並びではある。

ただ、良いとか悪いとかより僕が気になったのは、なんでそんなこと言いたくなっちゃうんだろうなあってことだった。

とりあえず妻のお父さんは、整理整頓、掃除をしてほしかったんだろう。
どうにかして妻を奮い立たせたかったのか、イヤミの一つでも言わないと気が済まなかったのか。

いずれにせよ、どうにかこうにか掃除をして欲しかったようにみえる。

良い悪いとは別で、相手をコントロールしようとする言葉がある。

そんなことを巡らせながら、どうにか誰のこともコントロールなんてしないように、と願って僕は言葉を書きつづけているんだなあってことも実感する。

良い悪いと別、ってのが気になるのも、良いこと言ってようが嫌なこと言ってようが、結局コントロールしようとする言葉が世の中に、そして自分自身から、湧き出ていることにゲンナリしてしまうからだと気づく。

こうして書くことも、コントロール、制限の一種じゃないのかって気もするけど、コントロールから自由になるキッカケとしての言葉もあるはずだと信じるから、ひとまずよしとしたい。

妻は、妻のお母さんから「あすかは私の最高傑作!」なんてことをよく言われていたそうだ。

どいつもこいつもどうかしてんな、と思う。
そしてまあ自分もたいして変わりゃしないよなあ、とも思う。

幸いにも、妻も僕も、直接手を出されるような暴力の体験はない。

その分、側から見るとわかりづらい、間接的な暴力が体に多く残る。と思ってる。

そして、気づかぬうちに(なんて言い訳だけど)、当たり前のようにその暴力をパスしてたことが山のようにあるだろうと思うと、ゾッとする。

我が身が実感できる範囲での胸糞悪い連鎖をどうやって断ち切って、できるかぎりコントロールのないバトンを託せるか。

自分と、家庭と、縁ある皆に、出来うる限りの、非暴力な愛を注ぐ。

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