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母性か、性癖か~自己防御としての偏愛~

河野多惠子全集 第一巻 新潮社『幼児狩り』

 全集の第一巻の短編のひとつ『幼児狩り』が印象的。昭和三十六年、新潮社同人雑誌賞受賞作。

 そのタイトルをいま現在見ると、たじろぎモラルを問われそうな気がするが・・・。主人公の晶子は三十過ぎの独身女性、同棲している男はいるものの互いに結婚願望はない。この晶子は奇妙な趣向があり、それは三歳から十歳の女の子が駄目で、生理的に嫌悪感を持っている。反対に少年には異常なほどに執着があり、その少年の可愛らしさや、美しさに性的な興奮すら覚えている。

 それで、少年になんとか近づきたくて、子供に小さな男児がいる友人を訪ねては、洋服をプレゼントするという行為を繰り返している。本文を読み進むと、この晶子が男児の衣服自体に異様な執着を持っているのが見て取れる。それはある種、下着泥棒が女性の下着に性的興奮を抑えられないみたいなものなのだろうか。一種の性的なフェティシズムを感じてしまう。その女がいつも繰り返し夢想するのが、男児を折檻する男が夢に現れ、やがてエスカレートして・・・という夢想に酔う女は、今風に言うと、まるでサイコパスみたいだった。全集にある付録には作品評があり、読むとサドとか谷崎とかの話が例としてあがっているが、私には世代的だろうけど、この女が村上龍の小説によく出てくる感情の無いSM嬢たちに重なる。要するに、幼児期に何かしら重大なトラウマを背負い、そのトラウマからの女児に嫌悪を抱くようになり、翻って逆に、男児に性的欲望を感じるというような感じだろうか。そのトラウマから逃れるための自己防御としての偏愛のように感じてしまうのだが。

 最後に、夏の終わりに町角で、西瓜を齧っている少年とのやり取りは素晴らしいと思った。割れた西瓜から滴り落ちる果汁や少年の小さな唇に欲望を感じ、話しかけ、その西瓜の肉塊のような小切れを少年の手ごと引き寄せ齧る。官能的だった。それは猟奇でもなく、悪徳でもなく単に生命力に満ちた官能を感じた。前にあったサイコパス的な夢想と大きく乖離していて、そのギャップが面白い。

 それにしても、この主人公の女の趣向がやはり計りがたい。その少年への執着が母性のものなのか、単なる性癖なのか判断が付きにくいところがあり、そこもまたこの短編を深いものにしているように感じた。

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