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ルーツを辿る            ~書くことと自己認証欲求~

『場所』瀬戸内寂聴 著:新潮社

 昨年、99歳で亡くなった寂聴さん、この五月で生誕100年になり現在、関連書籍が次々に刊行され、また自身のドキュメンタリー映画も公開中である。
 生涯残した本も膨大であるなか、寂聴文学に詳しい人にまず寂聴さんの小説でなにから読めばいいのか尋ねると、ほぼほぼの人がこの『場所』を上げる。著者が八十前に過去を振り返る形で、自分のゆかりの地を訪ね、その時代ごとの思い出の回想をしていく。寂聴さんもこの小説は、『夏の終り』の出発点から走り続けた私小説のゴールの作品になった、と言っている。

 最初は生まれ故郷の徳島を巡りながら、自身の幼年期のころから、父母のルーツを辿っていく。そこのところはNHKの番組、ファミリーヒストリーみたいで作家の歴史の原点を辿るようで興味深い。
 子供と夫を捨てて出奔する場面から物語が勢いに乗りだす。そしてひとりで生きる道を選び、やがて有名な小田仁二郎と、涼太との有名な三角関係が中心となり話が進んでいく。物語の最終では、出家前の最後の恋人、井上光晴らしき男も登場する。
 興味深いのが、かつて住んだ場所がすべて書く、ということが発端になっているところ。すべての場所が書く、という行為に結びつく。そして老年になって再度、今の自分がその場所に出向き、その今を含めてまた小説という形で書く、のである。その構造が小説として面白い。

 どうも作家という人たちはある年齢に達すると、自身のルーツを辿りたくなるものらしい。(別にそれは作家に限ることではないのだろうが…新聞広告で自分史を出版しませんか的なものはよく見る)つい近年村上春樹は自身の父親のルーツをたどるエッセイ『猫を棄てる』を、村上龍に至っては、近著の小説『ミッシング』で父母のルーツを辿り、自身の幼年期から作家になるまでのことが小説として語られた。
 どちらにせよ、作家がその処女作を書いた、というか書かなければならなかった原点があり、読者は共に追体験することが出来るのでその作家のファンなら自己回想物語はより貴重だし、きっと小説として自身の原点を巡るテーマは作家自身においても、面白い小説材料のひとつになりえるのかもしれない。
 それは一種の自己認証願望に近いものというのか。自分がここに生きたという証を残す、という意味においても。
 
 もし寂聴文学初心者がこの本書を読んで、少しでも琴線に触れるものがあれば、次は『夏の終り』を読むことを勧めたい。

 

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