褒めて、ポジティブシンキング
先日、友人とのたわいもないラインでの一コマ。
友「筋トレ始めて3ヶ月たったわ。それなりに胸周り筋肉ついたんよ」
私「えー、写真見せてよ」
(友の写真を見て。ちなみに筋肉はそれなりには増えていた)
私「肩周りはまだまだ足りないんじゃない?」
友「はー、、」
「これは、筋トレしてないやつの言い方ですわ」
「筋トレしてるやつはそんなネガティブな言い方しないからね」
まあ、冗談を言い合う仲という前提。
加えて私が実は筋トレをしていることも友人は知っているのだが。
続けて、
友「伸びしろあるね!これが正解。」
全くその通りで、自分の褒め慣れてなさに赤面した。
自分も他人も褒めてる?
褒めるってめちゃくちゃ難しくて。
己のために頑張っている人、成果を出した人
自分のために必死で何かをやってそれで得られた結果って、褒められてナンボな気がしてきました。
もちろん自己満の世界もあります。けれど自己満も結局は「仮想の他人」=「自分で自分を褒めて、褒められて」を繰り返しているだけで結局は褒められたいんですよね。
前述の筋トレでも、ここまで頑張ってこれたという自分に対して自己満では事足りず他人からの称賛を求めた結果で、その成果を褒めるというのはめちゃくちゃ大切なんだなと体感。
ただ、何の悪気もなく「肩周りが足りないんじゃない?」と言っちゃった自分を反省。
筋トレしているのを私に置き換えたとして、自分のことを褒められないってことの裏返しじゃ!?!?
褒められたら筋トレが続く
やっぱ筋トレとか自己研鑽って、無限大の可能性じゃないですか。
「人生一生勉強」じゃないですけれど、その類の努力ってどこまで行っても続きそうですよね。
じゃあそんなストイックな努力をどこまで続けられるのか。ってことになってきます。
飽き性の人は「他人が介入してこない」or「自分の称賛のみで完結」しちゃってるんじゃないかって。
続けるためには「認知されて、褒められる」しかない!
①「頑張る」→②「結果が出る(自認できるかできないかのレベル)」→③「他人から褒められる」→④「結果を自認する」→⑤「さらに頑張る」
この③が抜けちゃうと、成果があるのかないのか曖昧なままただ自分を追い込むだけの苦行になっちゃうのかなって。他人から認められて、初めて自分の成果を確認できるんだと再確認。
「〜できるかも!!」前向きにとらえよう!
私は前述のラインの件の後、考え方をガラリと変えました。
「筋トレで体を大きくしよう」とか
「サーフィンうまくなろう」とか
「たくさん映画を見よう」とか、全部まだまだまだビギナーなわけですが、
現状に対して満足は絶対にしないように。
なんなら僅かな成果も共有して、褒めてもらおう!
未知なる才能を発揮「できるかも!!」
この「できるかも!!」を標語にやりたいことをやりましょ。
できるかも!!って思って頑張っているひとを嘲笑なんて絶対しちゃダメ。ちょっとでも変化に気付けたら、速攻褒める。
自分のコンテンツボギャブラリーを豊富にするために、「できるかも!!」と「お褒めの言葉」大切に。
P.S.安易に褒めすぎても良くないらしい。
(率先して自分のためにやってくれたことに対しては、称賛ではなく感謝を伝えるべきなんだって。)
THE体育会系な文章でした。ご清聴ありがとうございました。
>いえもん。
最近ひどく飲むと次の日胃痙攣を起こします、きっちゃんです。泥酔タクシーでは吐いた覚えしかありません、きっちゃんです。もうオールはできません、きっちゃんです。
>サイトウ
ほんとに、偶然書きたい内容が被りました。
音楽道、ラジオ道。極めてください。
今はサーフィンと筋トレを趣味にしています!
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