ひとりじゃないよ

あと2週間ほどで22歳。早く感じるなあ。しかし、まだまだ心は子供のままみたいです。笑

21歳もたくさんの人に出会う年でした。
新しいことも始めました。楽しいこともありました。
全ての素敵な人たちと素敵な時間を過ごせたことがとても幸せに感じます。
みんなありがとう。

さて、特に書く必要もなかったけど何となく今の気分で、今の自分を記しておきたくて、長々と自分について書こうと思います。
ネガティブな内容が多くなるので、苦手な人はごめんなさい、読まないで、、

ある日病院で、自分はADHDだと診断されました。
「ほんとに?そんなふうに見えない」自分でも思いました。笑

通院のきっかけは、気分の上下が激しくしんどいことが昔からあったためです。高校生の頃から病院に行こうとするけど結局行かず、を繰り返し、大学生になってから思い切って病院に行きました。

診断されたとき、最初はショックもあったし嫌でした。疑いもありました。

けど調べてみると、特徴が当てはまることばかりで、今までしんどかったことの理由ができた気がして少し楽になったような気がしました。
(そして結構憧れの有名人もADHDだったりして少し嬉しくもなりました。笑)

しかし、自分が出来なかったり苦手だったりしたことをADHDのせいにしたくなくて悔しかったという思いもあります。

今まで家族などに助けられすぎて気付いていなかった苦手なことが沢山あり、大学生になってからさらに生きづらさに気付かされました。
そんな私に母は「気付けたことが成長の大きな一歩やん!すごいやん!」と明るく声をかけてくれました。確かにそうかもしれない。

まぁとりあえず、自分は自分のままで何も変わらないし、むしろ苦手なことと得意なことが分かり、これから工夫できることが分かりやすくなりました。生きにくいこともあるけど、ありのままで生きていこうと思います。

そしてもう一つ。
自分は適応障害でもあります。

周りが霞んで見えて、コロナ対策のアクリル板を挟んで世界を見ているような感じがしていました。ここにいるようで、ここにいない。身体はあるのに、心がない。生きているようで、死んでいるような、そんな感じです。

楽しかったことが楽しくなくて、歌を歌うのも何か違くて。友達と遊んでいても楽しめなくて、笑かそうとしてくれてもパッとしなくて愛想笑いをしてしまう。話していても何を話せばいいのか、何を返答すればいいのかわからなくて微妙な返事になってしまう。

まるで自分をどこか遠くから見ているみたいでした。
「美味しい」「楽しい」「嬉しい」が消えた世界。

全てがどうでもよくて、でもどうでもよくないのに、何も出来なくて虚しさが残るような感じでした。

「自分なんて居なけりゃ」「このまま目が覚めなければ」そんなことを考える日々。

絶対にしてはいけなかった自分を傷つける行為や自分を責める思い。
そうして自分を虐めてしまったことへの罪悪感でまた沈んでいく、、

「なんでこんなに弱いんだろう」「なんでできないんだろう」自分は病気だからと思っても、弱くて脆い自分に嫌気が差しました。

夜は眠れなくて怖くてひとりぼっちな感覚で、昼は何も出来なくて身体が動かない。
頭痛、吐き気、腹痛、倦怠感、と身体にも不調が出てきました。
些細なことにも不安になったり怖くなってしまって、こんな弱い自分が嫌で嫌で嫌で嫌で仕方がない。

でも、、周りには家族や友達、先輩たちと素敵な人たちが居てくれました。こんな自分が嫌いな自分の周りにも自分を愛してくれる人たちが居ました。

「ひとりじゃないよ」「いつでも頼ってええんやからね」そんな優しい言葉を色んな人にかけてもらいました。
「ここに居てもいいんだな」「生きていていいんだな」と思いました。

そんなみんなの言葉と想いに少し救われて、みんなの笑顔を見て、心が照らされています。

「こんな優しい世界に生きているのに自分は、、」「みんな頑張ってるのに自分は、、」ってそんなふうに思ってしまって、また閉ざしてしまうこともあります。まだまだ繰り返してしまうこともあります。

でも、少しずつだけど良くなるといいな。
少しずつでも、こんな世界を、こんな自分を好きになれたらいいな。

そんなふうに思う今日この頃です。

生まれてきて、よかった。ありがとう。

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