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今年の目標を書くぞ!

諸君あけましておめでとう。今年もよろしくおねがいします。

 実のところ私は体調を崩し、ニート手前である。これも私のあまりに低い社会性と、あまりに高い理想が奇跡的なかみ合いを見せて脳内でおぞましい不協和音を響かせた結果である。

 高すぎる理想というのは身を亡ぼすとこの機をもって経験した私であるが、今はまだギリギリ新年。ここで一つ調子に乗って目標を掲げたいと思う。

 新人賞にて小説家デビューこれを目的とし、日々小説を執筆する。

 ここで公にするのは実に恥かしいことである。正直やりたいことではない。私の知り合いがこれを見ているかもしれないと思うと苦しい。枕に顔をうずめたくなる。また、私は自意識が過剰な質であるので、この文章をネット民の誰かが発見し、ビッグマウスな奴がいるとおもちゃにされるかもしれない、と考えてしまう。しかも、それでいて新人賞に申し込んだ挙句、一次選考で落とされましたとなればその時はどのように公表しようか。もはやこの文章は完全なデジタルタトゥーに成り下がる。さらに厄介なことは、私が送った小説が一次選考で落とされる可能性というのが極めて高いことである。実際に去年書いた渾身の小説は電撃文庫大賞で一次選考落ちの結果となった。

しかし、ニート手前となった今、満員電車に乗るなど考えたくもない。好きな時間に起きたいし、誰にも怒られたくもない。私の自由時間をつぶす飲み会には行きたくないし、そもそも、アルコールに弱い質なので酒を飲むと気分がよくなるなんてことはなく、すぐに嘔吐をしてしまうのがオチである。だが、休みをもらい、家でだらだらとしている現在は素晴らしい。アイフォンのアラームにたたき起こされた後急いで支度をする必要はない。満員電車に乗り、次の駅で誰も乗ってきませんようにと祈る必要なんてもちろんないし、嘔吐を我慢しお酌をしつつ、にこにこしながら上司の説教に相槌を打ち、一つしかないトイレが早く開くの必死に願うというイベントなんぞも起こらない。私は現在の生活を維持したいのである。

私がニート寸前に陥った原因として、決められた時間のみでしか仕事に取り掛かっていたくないという、なんとも甘ったれた願いがあった。つまり残業なんぞ一秒たりともしたくなかった。プライベートの時間を一秒でも多く確保したかった。あまりにぜいたくな願い事である。その願いが叶わぬと分かると、私は会社がいかにだめであるのかを探し始めた。あらさがしである。そしてこれが驚くほど簡単なのである。コツは被害者になること。何でも間でも被害者になればほんの些細な刺激でさえ受け入れられなくなり発狂し、すべてを加害者に仕立て上げたいものの責任にすることができる。フェミニストやポリこれが先鋭化しつつあるのはおそらく私が会社にやったことと同じ手段を使っているからだと思う。先ほど挙げた早起きや、満員電車や飲み会なんかも、あらさがしを行わなければイヤにならなかった可能性は大いにある。社会とはそういうものだと受け入れていれば何とかなったのかもしれない。いや、何とかなったと思う。

 私が会社を呪ういっっぽうでほかの社員たちは会社のことを気に入っているようであった。気に入っているというよりそうするのが当然だったのだと思う。会社のためだとか、経費を少しでもだとか、利益だとかそういうことに対して細かかった。会社のために時間外に資料を作る人までいた。

 当然私には考えられなかった。だが、自らの仕事にプライドがあったとすれば、その仕事を行う時に何かしらの達成感があったとすれば、以前成功した際にかなり良い評価をもらっただとか、そう考えたら会社のことが気に入り、会社のために働くというのもあり得る話である。仕事に対する理解があり、それ自体に誇りを持っていたのなら時間を忘れて仕事に取り組むというのも考えられる。

 私から見たら職場というのは皆そういう人であった。だから自分の時間を犠牲に飲み会も残業もやる。それに比べれば私はささげていなかった。本気ではないと思われることだろう。そう思うと私と同僚の間には大きな溝があるように感じた。その中で何とかあらを出さずにはどうするか。早くこの居心地の悪い場所から逃げ出したい。そう考えるのが常であった。

 文章を書いているとそういう現実の問題ごとが忘れられる。書けば書くほど断片的な妄想は無限に広がり、それを文章として出力すれば、その妄想は脳内でつながり映像となり、私の中で体験したこととなる。そしてその妄想は新たな妄想を生み出し、妄想が妄想を呼び、文章を書く手はずんずん進んでゆくのである。その作業が楽しくて楽しくて仕方がない。昼も問わず朝も問わずやっていたい。また次の展開が思いつく。今書かないと忘れてしまいそうだから脳内の妄想を形にする。そうするとまた出てくる。気づけば2時である。

 毎度深夜に何時間眠れるか考える。睡眠時間は一時間半単位で行うと良いという保健体育で習ったことを忘れずにいた。2時に寝るということは3セットで限界である。そんなので私は八時間以上働けるのだろうか。睡眠時間の2倍である。職場でやるなら無理である。しかし、文字を書くのはどうか。それなら十時間だって苦にならない。この際できるかできないかは置いておくとするが、こう比べてみると私に合った職がどちらかは明確に思える。

 ゆえに私は小説家になりたい。

 だがしかし、それを目指すのであれば、先ほど置いておいた、「できるかできないか」というのは極めて重要になってくる。去年の私は「できない」の評価をもらったのだ。だからなぜ「できない」の評価をもらったか、どうやったら「できる」に切り替えることができるのか、私は考えなければならない。

 そのために私は友人の意見を参考にしたい。私のできない小説を読んでくれた人数は二人のみである。そのうちの一人は、これじゃあ暗すぎると私にアドバイスをくれた。確かにそのとおりである。私は特に考えずに物を書いていると暗い話になってしまうようである。証拠に、新年の目標を掲げる文章だというのに、これも暗い。

だから次は明るい話を書きたいと思う。

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