見出し画像

「好きである『べき』もの」はわかるのに、「好きなもの」はわからない現象

好きなことをやれていて、好きな人といて、好きなものを見て、好きなものを聞いて、好きなものを食べていられたら人生なんてそれでOKなのに、

それだけのことがなんでこんなに難しいんだろうね。

「好き」を生きる人生にはたくさんのハードルがあって、例えば金銭的な問題。カニが大好きだからって、毎晩カニを食べるような財力はないよね、みたいなこと。
世の中、たいていのものには値札がついている。世界有数の大富豪でない限り、値札に縛られるのは誰でも同じだ。

でも、たとえ使いきれないほどのお金を持っていたとしても、ハードルはそれだけじゃない。他には例えば、タイミングの問題。運の問題とも言えるかな。
大好きなラーメンを食べに行ったのに、偶然、お店が閉まってることってある。たまたま社員研修でお休みだとか、スープが売り切れたとか、あるよね。
それ以外にも、相手の問題。自分がどんなに好きな人でも、向こうが自分のことを同じように好きになってくれるとは限らなかったりするよね。

でも、「お金」「タイミング」「相手」こういうたくさんのハードル以前に、まず、そもそもの問題、馬鹿でかい本質的な問いかけが私たちの前に立ちはだかってる。


それは「そもそも、何が好きなのか」ってこと。

あなたに無限のお金と、最高のタイミングを引き寄せる強運と、全ての人の心を操れる超能力が身についたとして、
じゃあそれで一体、何がしたいの?ってこと。

ほら、みんな冗談めかして「5億円あればなあ」なんて言うけれど、じゃあその5億で何がしたいのって聞いても大した答えは出なくて、「まず仕事をやめて…」とかになったりするじゃん。(よーするに別に金が欲しいわけじゃなく、「仕事を辞めたい」が最大の願いであって、仕事をやめる方法を頭で考えるのも面倒だから考えなくていいくらいの大金=「5億」が欲しいって言ってるだけなわけよね。)

みんな、意外と「自分の好きなこと」をわかってない。私も含めてね。ほんと、私もそうだったし、いまでも割と。

「何かを好きになってもどうせ無駄」

で、自分の好きなことがどうしてわかんないか?
突き詰めて考えてみたところ、多分、「否定される」と思ってるからなんだよね。「あれが好き、これが好きなんて言っても、どうせ否定される、何もできない」、だから「好きなものなんて見つけない方がマシ」ってことになる。

ここから先は

2,321字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?