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私たちは未来を選べる、なんなら過去だって自由に選べる

ここ最近人生で初めて、「占いって結構いいもんだなあ」と思うようになってきた。

過去の私は「あんな根拠のかけらもないもの、何の価値もない」と思ってたの。「科学的根拠を出せ」みたいなさ。エビデンスがないものなんて信用できない!非科学的なものなんて信用できない!というよくあるスタンス。楽しめる人は楽しめばいいけど、私は無理だなって。。。
いや、今考えたらまじで何様案件なんだけど。

で、ここのところずっと書いてるとおり「自分の頭で考えてることなんてまったく役に立たない」ということが腹落ちしてきたために、「自分が思う根拠に基づいて何かを判断することと、占いで何かを判断することに、明確な優劣なんてありゃしないなあ」ということに気がついてね。

たとえば「私はこれまでみんなに変わり者だと言われたから変わり者なんだ!」って主張することと、「私は魚座だからロマンチストなんだ!」って主張すること。
どちらもそれほど変わりはなくて、どっちも信頼性があるともないとも言えず、単に「自分がそう信じるならそうなるね」というレベルの話でしかないんだよね。

占いが当たるとか当たらないとかそういう話じゃない。占いはファンタジーであり、一つの物語に過ぎない。でもそれを言うなら、私が過去誰になにを言われたとか、親のこういう性格性質が遺伝したとかいう話も、そして科学的に見てどうだとかいう話も、一つの物語、一つのファンタジーに過ぎないってこと。

自分について何かの物語を信じれば、それは自分にとっての真実になる。

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