自分のこと好きになった結果、「めんどくさい」という感情がどこかに消えた
この5,6年、気が向いたときに自分に「大好きだよ」って声をかけてみてたんだよね。本気で言ってるというより、もうご挨拶というか、「お疲れさまです」みたいなノリで。
理由としては、そうするのがいいってことを沢山の本で読んだし、理屈で考えてもそのとおりだなあって納得したから。
鏡を見たら「大好き」、移動時間、ひまだなーって思ったら「大好き」。ご飯食べ終わってお片付けして、仕事に取りかかる前に「大好き」。
それをやってても嬉しいわけじゃないし、楽しいわけじゃないし、とにかく「無」の感情だったの。いや、なんだったら若干キモイと思ってた。若干キモいけど、効果あるからやっとこうかな-、くらいの感じ。
でもこのあいだ初めて、何百回も何千回も繰り返してきた、この感情のこもらない無機質な「大好き」に、「そりゃそうだよねえ」と思ったの。「うん、だよね」って自然に。
なんか自分でもびっくりして、もう一回心の中で言ってみた。「大好きだよ」って。
そしたら「そりゃそうだよ、わかってるよ」ってまた、返事が返ってきた。
端から見たら一人で脳内会話してるヤバいヤツだけど、確かに私の中で、そういう会話が成り立った。
それでそのときね、自分と自分で会話が成り立って、私の「大好き」が自然な台詞として伝わったときに、何か、風穴が空いたっていうか。あ、わかったって思った。
私って、本当にちゃんと、大事にしていいし、愛していいし、尊重していい存在なんだなって。
その感覚を伝えるのはすごく難しいんだけれども、たとえばペットだとか赤ちゃんに対してその感覚を持てる人は多いと思うんだよね。この可愛い存在に、自分の全てを注いでもいい、なにもかも許して、なにもかもお世話してあげてもいい、無限に慈愛を与えて構わない、逆にそうすべきだし、なんでそうじゃないの?くらいのあの感覚。
あの完璧に無防備な100%の「かわいいね、あなたは最高です」を自分に感じることが出来た。
うわキモーとか、どこが?まったく好きじゃない笑とか、自分で言ってんのヤバ笑とか、とか言ってみてまーす笑とか、そういう照れた台詞まったく抜きで、まっすぐに、まっさらに、「大好き!」って思ったし、「おう、だよねー!ありがとー!」って思った。
そう思うのが当然だと思えたんだよ。これはすごい。
いや、理屈ではそうなるだろうなって思ってはいた、頭ではわかってたけど、本当にそうなってびっくりした。
身の回りのことが一切めんどくさくなくなった
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