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【短編小説】注釈男 世界は踊る 第7話

【第7話】
 
 その朝、しばらく消えていた注釈が突如復活した。
 ただし、それは「不倫」の注釈ではなかった。
 その注釈は、街中ではほとんど見かけることがなかったので、人々が気付いたのは遅かった。
 なぜならその注釈は「殺人」だったからだ。
 
 注釈は法的証拠になりえない。これはもう判例でも出ている。
 しかし、警察にとっては犯人検挙の十分な足掛かりになった。防犯カメラなどに映った注釈や市民からの通報により、警察は殺人事件の被疑者を一斉に追い始めた。

『無職 太田和正(32) 令和〇年2月1日 ワールド商事勤務山田希美(29)をコードで絞殺 被害者とは無関係 『注釈男の意志』所属 動機:思想』

『警視庁警部補 鬼島正明(55) 令和〇年1月29日 主婦 石田由紀子(45)及び無職 石田彩音(20)をバールで撲殺 被害者と無関係 令和〇年2月12日 品川興産会長墨田雄一(73)をスパナで撲殺 被害者とは無関係 『注釈男の意志』所属 動機:思想』

『川上建設社長 川上睦夫(59) 令和〇年2月1日 無職 佐々木和彦(30)及びパートタイマー川上芳江(53)に暴行を加えた上、荒川河川敷でガソリンをかけ焼殺 佐々木和彦の元上司 川上芳江の元夫 『注釈男の意志』所属 動機:怨恨・思想』
  
『主婦 宮川芽衣子(33) 令和〇年2月2日 主婦 鈴木真知子(46)を地下鉄ホームから突き落とし殺害 被害者とは無関係 『注釈男の意志』所属 動機:思想』

『会計士 真田五郎(51) 令和〇年2月15日 無職 大木成男(65) を盗難車で跳ね飛ばして殺害 被害者とは無関係 『注釈男の意志』所属 動機:思想』 

『秀賢大学学生 間島陸(19)令和〇年2月9日 未来出版社勤務石田邦夫(49)を自殺に見せかけてロープで絞殺 被害者とは無関係 『注釈男の意志』所属 動機:思想』

 世界中の「注釈男の意志」のメンバーは、即座に注釈男に裏切られたことを悟り、実行犯は注釈男への絶望と激しい怒りとともに地下に潜り、賛同者は蜘蛛の子を散らすように組織から離れた。組織はあっという間に瓦解し消え去った。

 注釈が暴いたのは、「注釈男の意志」による殺人だけではなかった。裁きを受けて罪を償った殺人者を除き、全ての殺人が明らかにされていった。

『カフェeternalオーナー岸田君子(45) 令和〇年1月25日 無職岸田公彦(36)をサバイバルナイフで刺殺 岸田公彦の妻 動機:怨恨』

 岸田公彦君を殺したのは、奥さんだったんだね。そりゃあしょうがないよね。公彦君は僕の心を殺したんだから、これでおあいこだ。

『レストランアスター経営 山路宣夫(45) 令和〇年2月18日  永光商事勤務 鈴木正義(42)を歩道橋の階段から突き落とし殺害 被害者の妻鈴木智子(39)と不倫関係 動機:鈴木智子からの依頼』

 ああ、鈴木部長も奥さんに殺されたのか。でも、この夫婦はどっちもどっちだな。二人とも天国には行けないだろうな。

『北関東大学学生鈴木武彦(20) 令和〇年2月20日 東京都職員田中克己(47)を出刃包丁で刺殺 被害者の実子 動機:怨恨』
 
 「注釈男の意志」による殺人を除いても、注釈を付けられた人々の死亡率が異常に高いのは如何なる因果なのか。それは僕の知るところではない。

 注釈を見た市民からの警察への通報は昼夜を問わず鳴り続け、過去最高の件数を記録した。警察もまた被疑者の写真を再度見直して注釈を探した。これまで、迷宮入りとなっていた殺人事件にも次々に解決の糸口が提供された。数え上げても、京都女子大生連続殺人事件、公則ちゃん誘拐殺人事件、青森児童連続殺害事件、日立スーパー強盗殺人事件、鹿児島毒物カレー事件など枚挙にいとまがない。

 平凡な市井の人々の中にも事件はひっそりと潜んでいた。
 病死と思われていた夫が、妻に長期にわたり食事に微量の毒物を入れられていたり、登山中の滑落事故がパートナーの故意によるものであったり、投身自殺として処理された妻が不倫相手に殺されたものであったり、事故死を遂げた会社員が保険金目当てに雇用主に殺されたものであったり、妻子を殺された悲劇の夫が実は犯人だったり、日常の闇に葬られていた事実が白日の下に晒されていった。

 殺人者は何気ない顔をしながらすぐ隣にいた。
 いつもニコニコとあいさつをしてくれる感じの良いご主人は、4名の若いパパ活女性の名をその注釈に刻む殺人鬼であったし、高校の教壇に立つ人気者の若い先生は、他の県の小学生二人を自らの快楽のために殺していたし、人気ナンバーワンのキャバ嬢は内縁の夫を水難事故に見せかけて殺していたし、いつものように明るい声で「おはよう!朝だよ!」と中学生の息子を起しに来た母親の頭上にも、かつての恋人殺しの注釈があった。

 一方、某刑務所では、薬物による大量殺人の罪で冤罪を主張し続けてきた死刑囚の刑の執行を明日に控えていた。その死刑囚に注釈が付かないことを看守が上司に報告したものの、そもそも注釈は法的証拠にはならないことから、誰もがただ右往左往するばかりだ。

 軍人も注釈から逃れることはできない。戦場は注釈で埋め尽くされ、戦闘に支障をきたすほどだ。現にいくつかの戦場では停戦協定が結ばれることとなった。
 兵士の間では注釈が長くなればなるほど誇りとする風潮にあったが、彼らはその注釈を一生身に付けて生きていく覚悟はあるのか。恋人や家族に胸を張って見せられるものなのか。
 今まさに、祖国の独立のために戦場の最前線で戦っている誇り高き若き砲兵は、自分の注釈に何十人もの幼い犠牲者の名前が刻まれていることを知り、絶望の末、自ら命を絶った。

(続く)


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