比喩とはモノではなくイメージを結び付けること


『少女は太陽のように笑った』

 文章を見て太陽を思い浮かべたあなた!
 それ、ちょっと作者の思惑と違うかもしれません


○比喩表現とはイメージを結び付けること

『少女は太陽のように笑った』
 という文章を読み解いてみる。

 つまり少女の笑顔は表面温度6000度なのだ。


 ……そんなわけがない。

 『太陽のように笑った』

 と言われた時私たちが思い浮かべるのは、明るく、エネルギーに満ちて、温かみに溢れ、見ているこっちまで晴れ晴れとした気持ちになるような、そういう爽快な少女の笑顔である。

 私たちは太陽そのものでなく、太陽によって得られるイメージを思い浮かべているわけだ。ここが大事なところだと僕は思う。

 比喩表現とはモノとモノを結び付けるのではない、モノによって得られるイメージとイメージを結び付けるためにあるのだ。


○イメージとは何か

『少女は太陽のように笑った』

 僕は少女の笑顔を言語化するにあたって、太陽に喩えた。

 しかしみなさんの中で、少女の笑顔を見て真っ先に「太陽のようだ!」となる人は、ごく少数ではないだろうか。僕だって、思考回路として言えば、少女の笑顔イコール即太陽のよう、とはならない。


 つまり「太陽のようだ」という言語的な表現に至る前に、もっと根源的な感情が、私たちの中にあるはずなのだ。

 具体的に言うと、「太陽のようだ」の前にはもっと単純な「素敵だ」がある。私たちはそれを言語化するにあたって、どんな風に素敵なのだろうかと、色々考えに考えて「太陽のよう」という比喩を持ち出している。

 さらに辿って行けば、そもそもこの「素敵だ」も言語化されたものだ。「素敵だ」の前には、もっともっと根源的な、幸せとか快楽の感情そのものが存在するわけだ。むりやり言葉にすれば「ふわぁ~ん」「ぼわぁ~ん」あたりだろうか。

 言葉になる前の感情そのもの、これが、今回僕がイメージと呼んでいるものだ。


○比喩の生まれるところ

 私たちはほとんどの場合、言語を用いて思考し、また言語を用いて意思疎通している。なんだか言葉は万能な気がしてくる。

 しかしその実、言葉はあまりにも無力なのだ。
 「美しい」「爽快だ」「晴れ晴れしい」「素敵だ」
 どの言葉を使っても、少女の笑顔や、それによって得られた私たちの感慨、イメージを、100%の形で伝えることは叶わない。


 そこで我々の先人たちは比喩という表現を生み出した。

 少女の笑顔を見た時に我々が受けたイメージ(「ふわぁ~ん」だ)と似たイメージがないだろうか。そしてそれらを結び付けることによって、より鮮明に少女の笑顔のイメージを伝えられないだろうか。

 記憶を辿る。あの明るくて暖かくて爽やかな……

 陽の光を浴びたあの時のイメージと似ている!


 といったような紆余曲折があったわけだ。

 文章を読むときも書くときも、モノではなく、そこから得られたイメージを結び付けることを意識すると良いだろう。

 


○名文を読んでみよう!――村上春樹の比喩

 村上春樹と言えば比喩と言っても過言ではないだろう(もしかしたらファンの方に怒られるかもしれない)。

 村上春樹は、とにかく離れたところにあるイメージを結び付けるという点において見事だ。

でもそれに比べると僕の部屋は死体安置所のように清潔だった。
出典:『ノルウェイの森』(講談社 1987年)

 この文章を読んで、そのまま「死体安置所」というモノを思い浮かべてしまうと、なんで僕の部屋が死体安置所なんだよとわけが解らなくなってしまう。

 イメージを結び付けることが大切だ。一緒にやってみよう。


 想像してほしい。

 あなたは死体安置所に入る。
 内部は真っ白い壁と天井に囲まれていて、照明も真っ白で、足元には硬いタイルが敷き詰められている。いかにも寝心地の悪そうな金属製のベッドがぎらぎらと輝いていて、青白い肌をした死体がそこで寝かされる。

 どんな気持ちになっただろうか。どんなイメージを抱いただろうか。

 もちろん死体を腐らせずに保管するための場所だから、清潔なことは間違いない。しかし生気が無く、どこか不気味で、一種異様な清潔さがそこにあるだろう。
 そんな感じに僕の部屋は清潔なのだ。

(ちなみに僕は死体安置所に入ったことがないので、全部妄想である。お許しをば……)


 説明しておくとこのシーンは主人公の寮について記述したシーンだ。
 男ばかりの寮の大抵の部屋は物やゴミで溢れて不潔だった。しかし主人公の部屋だけは、病的なまでに清潔好きな同居人によって清潔に保たれているのだ。そういう異様な清潔さによって受けるイメージを、死体安置所によって受けるイメージと重ねている。

 無論もっとほかの、たとえば「死体安置所」という突拍子もない単語を出すことによって読者の目を引いたりだとか、そういう効果もあるのだろうが、とりあえずは比喩の説明としてご勘弁いただきたい。


○さいごに

 今回は比喩について取り上げた。


 今まで読書、とりわけ小説が苦手な人に話を聞くと「比喩とかあるけど、どう思い浮かべたらいいか分からない」と言われることが多かった。

 そういう人にはとにかく焦らずに、一度立ち止まって、自分の中でイメージを膨らませてみてほしい。そしてそれらを少しずつ、自分の中で結び付けてみてほしい。
 ゆっくりでも全然大丈夫だ。一つ一つの文章を読み味わってもらうことこそが、文章を書く人間の何よりの喜びなのだ。


 また書き手としては「何をどういう風に喩えて表現すれば良いか分からない」と言われることが多かった。

 まずは自分が書きたいモノについて、どんなイメージを抱くかをよく考えてみてほしい。僕も目を瞑ったり、時には身振り手振りを真似てみたりしながら、その状況で自分が何を感じるかをまず考えるようにしている。
 そしてそのイメージを的確に伝える言葉、時には比喩を探っていけば、良い表現に辿りつけるはずだ。この時モノ自体から派生するイメージをぜひ大切にしてみてほしいと思う。

 この記事が、文学に関わるみなさんの助けになっていれば幸いだ。


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