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【大原総一郎】経営の倫理観

みなさん、こんにちは

大槻亮太です。

先人の経営者達がどのような倫理観を持ち、企業経営を行なってきたのかを知ることも大切と感じている今日この頃です。

大原総一郎さんは岡山県倉敷市で倉敷絹織として誕生した現クラレという会社の社長をしておりました。

戦後GHQによる公職追放が広げられていた頃、
公職追放には7段階あり、その一番下のG項というのが、「戦争協力者、軍国主義者及び極端な国家主義者」と規定されていました。

彼は戦時中、軍需産業に携わる社長でしたが、
誰もこのG項に該当するとは思っていませんでした。

しかし、彼は「GHQによる戦争協力者の公職追放は、日本という国が誤謬を犯したことに対する裁きだと考える。私は日本の国家の要請に従って戦争に協力した。国家が誤謬を犯し裁かれようとする時、これに協力した個人として、その裁きから逃れようとは思わない」と自ら裁きを受けようとしたそうです。

結局、労働組合長が「では社長である貴方がいなくなったら貴方の指揮をまっている一万人の従業員はどうなるんですか」と説得され渋々止めました。

ドのつく真面目で誠実な人間だったことが伺えますね。

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この後、彼は世界初の新繊維「ビニロン」の開発に成功し日本繊維工業史の残る輝かしい業績を遺します。

そんなビニロンの工業化には15億円の設備投資が必要でした。

しかし最初は額が大きすぎるためどこの銀行も融資をしてくれませんでした。

そこで彼は当時日銀の総裁に掛け合い融資額を示し、
「一企業の利益のためにやるのではありません。日本の繊維業界のための大切な布石として始めるのです。そればかりでなく、戦争に負けて自信を失っている日本人の心を奮いたたせるためにも、純国産の合成繊維の工業化は何としても成功させなければならない。」

このように総裁に迫り、断われば腹を切るに違いないと思える程の熱意に負けて、日本興行銀行をはじめ15の銀行の協調融資の音頭を取り、14億1千万円の融資を成立させました。

翌年にはビニロンの創業式が盛大に挙行され、「ビニロン」の工業化が成功。

責任は自分が取るし、私利私欲のために経営もしておりません。

このことは現在の私たちも学んでおくべきことであります。

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