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踊り団体の具体的な記憶

沖縄ほにや

よさこい踊りをするサークルも、よさこい踊りに対する自己陶酔が強かった。集団的に自己陶酔してた。
そして、踊りをして、イベントで成功することを価値としているが、何かと団結していく事が多すぎた。仲間意識による団結とイベントでの成功意識を混同視させすぎていた。

成功するたびに、勝利だと言っている人がいたのでややこしかった。

話のずれに対して話を遮るのがいた。
そもそも沖縄ほにやは社会人や学生を中心にしたサークルであって、会社ではない。セミプロの踊り団体のようにふるまっていただけだ。
楽しもうと言う割には、よさこい踊りの価値観を義務の様に言ってきた。

楽しむためで、和気あいあいなサークルのはずなのに仕事のようにするのはおかしい。自由に休むことはできた。学生時代の自動車部というサークルはそれさえもできなかったな。

この踊り団体が仲良しごっこでないならば、仕事なのだろうかと思った。
仕事での給料は我慢の代金というが、当然だが、サークル活動してて給料などない。衣装代のわずかな補助金はあった。

しかし、話がずれた時点で封殺するのは、仕事なのだろうか?
合わなくて「他に行け」というのはそれまでだが、異文化だの、個性の村長だの言っておいて、話のずれを封殺するのはおかしい。幾分か聞く耳はあってよいと思った。

話のずれを不殺するのならば、「異文化」だの、「個性の尊重」だの紛らわしい言葉を必要ないと言いたい。仲間意識が強ければ団結して、排除されるものとそうでないものができる。

「異文化」、「個性の尊重」だの、「仲間意識の美徳」だの「仲間」だの、言葉で下手に協調していくと人間関係がおかしくなる。そう思うのは自分だけだろうか?

どのみちルールがいるのだろうが。

もっと言うと沖縄ほにやは共感性の幻想に拘り過ぎていた。
拘り過ぎるあまり、笑顔で踊りを楽しむことへの強迫観念が強すぎて嫌だった。

当時を思うと、苦しかった。彼らの共感性は踊りに対する共感性だったから、なおさらに。

連中には批判しようが何しようが、毎日踊りは素晴らしいと言っているのだろうと思う。こちらは「自己満足」だの、「やっていることは役に立たない」だの、「無駄」だの言われて悔しかった。

それ以上に女たちは集団で踊りの価値観に自己陶酔する有り様が嫌だった。
上から目線で優等生的態度で見下す態度。又は「あなたの言っていることが伝わらない」と言って自分を純粋にして扱う女。

ただそこに共感のみ要求している態度が横たわっていた。言っても、副ボス、ボスはそれに追随しているだけに見えた。

共感性が欠くとヒステリーになるみたいだ。その上、女が男にマウントを結構取られてて、上からできつかった。レベルの高さのみ言っていた。踊りの価値観のみで。





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