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沖縄ほにやの人間関係

沖縄ほにやの人間関係、仲間意識

当時の自分の周囲にいた人間たち。世間話できるかと言うと、乏しかった。
全体的に、よさこい踊りに同調的で、共感的、全体主義的な傾向が高かった。陶酔する空気に逆らいにくい状況だった。

MLでの宣伝もすごかった。
自分以外についていけない人は、段階的に、静かに去っていったと思う。
第3回目の異文化際の時にリーダーに猛烈に言っていた。
「こんなんだから、何人かは去っていったんじゃない」と。

口では言いだせないが、ついて行けなかった人が出てたらしい。
思えば、沖縄ほにや内での不満を話し合う人は見たことなかった。
話せる空気がなかった。ほとんどが踊りが素晴らしい、ほにやは素晴らしい、踊りの精度の為に、ズレを作るな、音楽に合わせろという物だった。

不満、愚痴を話せる事は沖縄ほにやでは、踊りのできる人の特権になってたのかもしれない。常に楽しもうの一点張りだった。
楽しむ事のみ求められて、拷問の様なものだった。愚痴でガス抜きさえできないのは。踊りが楽しく見えるとなっても、それは外側から見た物だった。

共感しないとヒステリックになるのもいたし。
共感しないと踊り団体は壊れてしまうのかもわからない。

陶酔して共感しないと、あの団体自体が成り立たないのだろう。
陶酔していかないと、全ての事がニヒリズムになり、分解してゆくのだろう。熱狂しないとならない強迫観念。思い出すだけでも理解に苦しむ。

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