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ウクライナとロシアの関係

#ロシア#ウクライナ は同じ #スラブ民族 。違いが出たのは、 #モンゴル帝国 が侵略した時と思う。キエフはモンゴルの侵略で没落、モスクワは発展した。モスクワは農村だったが、モンゴルの税の徴収をすることで発展することによって。

その後、モンゴル帝国は緩やかな連合国家となり、内紛により分裂してゆく。クリミア半島にモンゴル帝国の分派、クリミアハン国があった。半島は黒海を介して小アジア(今のトルコ)やヨーロッパとの交易で栄えてた。

ロシアがクリミアを欲しがるのは、凍らない港を手にするため。あと、 #クリミアハン国#モスクワ を攻められた記憶があるため。その為に交易地の獲得と、モスクワの防衛のためになる。

タタールのくびき。
それはロシアにも、ウクライナにも共通している。
モンゴルの侵略により、キエフの衰退とモスクワの発展という両極の差がついた。発展と衰退の差が、その後のロシアとウクライナの分裂に左右したと言える。

元々、両国は「キエフ大公国」を起源にすると言われている。
しかし、モンゴル帝国による「くびき」により両者のコントラストの差が出た。

ロシアはウクライナにあったキエフ大公国を起源としているそうだが、ウクライナにとっては、モンゴル帝国の支配下の中で発展したとしか考えてないだろう。むかしロシアの英雄アレクサンドル・ネフスキーの映画を見た。

この人はロシアの英雄とされ、ロシアに侵略する勢力と戦う話が描かれていたが、モンゴル帝国のバトウには土下座して服従している様が描かれていた。この人物がルーシ諸侯の徴税・貢納を取りまとめていたと言う。モスクワはこのやり方を受け継いで発展した。

キエフが没落したは、モスクワの税の取り立てによる影響もあったのかもしれない。ウクライナはこの落差を知ってるのかもしれない。

モンゴルによる「くびき」がウクライナとロシアという国を分けたきっかけになったのは違ないと思う。





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