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よさこい鳴子踊り団体の人間たち 箇条書き

高知ほにやからのれん分けされた人間たち

リーダーのみがテンション高く後の人間たちはそれに同調してた。
自分もそうだったが、途中から違和感になっていった。笑顔で踊る事への要求が嫌だったこともあり。

メンバーには女性が多かったが、人間らしさが乏しく、よさこい踊りの宣伝のみメーリングリストで投稿するときはテンション高かった。男は大人しかった。

全体的に見ると、ただもらった踊りを型通りするものに過ぎなかった。
途中方を崩して、何かの方を作る試みもあったようだが、上手くいってなかった。

メンバー見てても、よさこい踊りのテンションは高い事以外は低かった。
個性の尊重という建前はあったが、人間臭さは乏しかった。特に多かった女子連中には。もっと言うと、どこか自信を完璧そうに装っていた。裏を返すと失敗やミスをしないようにしてたかもしれない。

自分は空気読めない話になって、副ボスに封殺されたりしてた。その姿をあからさまに見て、失敗したくないのかもしれない。とにかく完璧さを装いすぎてた。あの女性たちは踊り以外の何かに関心あるか無いか、わからない態度を取るのが上手な方々だった。

その後、内地に戻り、大阪のお笑い番組をネットで見たが、沖縄とのギャップに驚いた。大阪のお笑い番組は人間臭さが目立つ。それ以上に我という我を出したり、互いに欠点をいじりあっていたりなど、救われた感があった。
テレビ上の演技と思うが、沖縄のテレビ番組見ても、大阪のお笑い番組ほど人間臭いのはなかった。

リーダーは、創価の要素をよさこい踊りの価値観に入れて、踊りを語っていた。そしてその価値観を効率的に伝わるものと思っていた。

まとめ

思うと沖縄で関わった沖縄の人々は自分で何かする人でなかった気がする。そういう人が少なかった。人の失敗する様を見て失敗しないようにしていたように思う。この踊り団体以外でもこうした傾向はあった。ひどい時は噂話のネタにもされる。

団体行動をして、カリスマの行動に自己陶酔して動く人たちと思った。
そして無関心で、エライ人がすごいと言わない限り、関心持たない。権威主義の怖さをつくづく知ったものと思う。


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