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この文章の続き。
九鬼の「人生観」
10ページのエッセイになる。人の人生と世界観は切っても切り離せないものであると言う文から始まり、世界観の話は突き詰めると、形而上学の話に行くと言う。形而上学は霊魂不滅、意志自由、神の3つに分類されると言う。
それが今では、死、実存、共同的な世界内存在になると言う。(上記のページからの抜粋)
続き
形而上学の3つの定義を筆者は各々定義して書かれている。
霊魂不滅、意志自由、神について。
霊魂の不滅で筆者は懐疑的だ。
意志自由は人間の歴史により限定されている。同時に自然科学についても語っているが、それが決定論を立てても、それにて意志自由が危うくされることはないとしている。
自由は「みずから」であり「おのづから」でないと言う。瞬間瞬間にて、行為を無からの創造でないと自由でないとしている。
神について。筆者の考える神は人間の行為を傍観し、賞罰を与えるものでなく、人間全体と共に悲しみ、共に喜び、人間全体の中に住む神としている。
(阿弥陀のようなものか?)
まとめると、人生において、不滅の問題は人生の外郭を作る。自由の問題は人生の形式、神の問題は人生に内容を付与すると筆者はまとめている。
この永遠の深みから浮かび上がるものがあると言う。
浮かび上がらない物がないと嘘と思うとしている。
以上の事を筆者である九鬼周造は定義して、最後に絶対の立場がいるとしている。私から見て、この「絶対の立場」は絶対無になると思う。
無が創造の源泉と書いていることもあり。
無の創造性にて、形而上学の3要素が動いている。
九鬼周造の「人生論」について述べた。
彼は京都で舞妓に入り浸っていたと言う。
今で言うとソープランドに入り浸っていたことに相当する。
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