見出し画像

学生時代のサークル 3

学生時代にいたサークル。


サークルにいた。そして、当時の学生部と部室の件でもめてた。
その時、自分は、問題抱えてて、結果的に頼る形で依存してた。
あったサークル棟の部室内でのトラブルの件で。

感謝はしても、全てには同意できなかった。
あのサークルの、悪乗りさや、OBの追い詰める体質には。
いつもサークル内で悪乗りか、学生部の文句だった。自分も参加してた。

しかし、部員の一人が参加しているゼミの教授とトラブった事で、教授に対しての恨み話で悪乗りする話でついていけなくなった。

その後の沖縄ほにやのよさこい踊りに対する同調、陶酔する例と比較したら、対極的な物だ。それでいて「みんな仲良く」というのだから。

母系社会

先の事を踏まえて言うと、あのサークルには、恨み節の悪乗りと「見返してやる」という感情が混じっていた。どちらかというとOB自身の私的な恨みの方が勝っていた。沖縄ほにやの場合は楽しむことのみが強かったが、楽しむことを志向する一方でどこか理不尽なことが多かった。外面、内心が重視されたのかもしれない。

どちらも『みんな仲良く』という物が根幹にあったと思う。
その一方で「見返してやる」という物は沖縄には乏しかったような気がする。

沖縄ほにやの場合、特に「見返す」という感情が乏しかったように思う。
この団体の場合、女子が多かった。母系社会的で母性本能的な物にて、団体が包括されている所があり、母性的な物にての仲の良さによっての調和性に従うことが強かった。

学生時代のサークル「自動車部」と比較して共通するのは、

「みんな仲良く」→「仲間意識」→「同調、陶酔」

という仕組みになると思う。
この慣習は人間のカリスマ性や物のカリスマ性によるものに起因する。穂場団体の内在する中でのものだ。

両者の違いはサークルの「見返す」という精神は悪乗りになりやすく、後者の沖縄ほにやは「踊りを楽しむ」事に終始しすぎてた。

両者の要素にて、交差する境目がなかった。
沖縄ほにやの場合、「見返す」という感情が出しにくかった。
どこか、みんな仲良くする雰囲気で、「仲良しごっこでない」とは言うが、仲良くする雰囲気と何かの秩序はあって、母性的な物に対しての反抗心が芽生えにくかったのかもしれない。自分はそこにいて、言われることあったが反抗心が出にくかった。


自分も今思うと、学生時代のサークルのOBの影響受けたのは否定できない。
同時に、沖縄ほにやの踊りに対する自己陶酔的な賛美についてけなかったのも事実だ。「個性の尊重」という建前もあり。

もっと言えば、自分が把握できなかったのと、論理的に反抗してやめることができなかった自身の実力不足ともいえる。
反抗せず辞めたのは、後に問題あったかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?