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共感幻想 記憶から

相談してと言う共感幻想。

生きてて、相談しすぎると自己の意識が落ちてくる。
考えることが無くなる傾向がある。ノートに悩み事を書いて分析してたので、相談に依存するとこの傾向が弱体化する。しかし書いているのみになると、誰かに話したくなる欲望も出てくる。

人によっては相手にもしてくれない。その例

・話しても共感してくれるだけ。(それのみだが、まだいい)
・まったくあてにもならない人
・「相談してあげようか?」と言ってくるが、必要なことしか聞かない人
・人を哀れんで、「相談してあげる」という願望を人に与えてても、いざ頼 
 ろうとすると、手の平返す人。
・仲が良いと思っていても打ち明けようとすると突き放してくる人。

以上、20代の時に体験したこと。沖縄時代に。
聞かされるわけは、自分が当時ノートで分析してたから、「やめろ」とみんなが言ってくる。ノートにモノを書くこと何て「頭のおかしい行為」だったらしい。

書く理由

私に言わすと、書かざるを得なかった。
他人に頼っても、あてにもならない、ならなかったからだ。人によってはギブ&テイクと言ってくる。仲間意識だの言ってきては突き放す人々しか見ていなかった。一部除いて。よさこい踊りの踊り団体の連中、かつての学生時代のサークルなど。彼らは高級なレベルを要求していた。私には理解不明だった。そのくせ、踊り団体には意見出しても封殺、役割を担おうとすると横やり。重要な役でもなかったのにな。又は話のずれで封殺して、抑え込んでくる。踊りの練習に言っても楽しめるわけでもなく、踊りのズレをダメ出しされる。あの人々には、踊る自由の中でしか自由を謳歌しない。その中で踊り以外の話は無関心にされる。

ストレスのみたまる。物書くしかなかった。
飼い殺しの美徳が沖縄の美徳だろう。

自分で何とかしろ言う事だろう。同時によさこい踊りの価値観に服従しないと、人間扱いされなかったのだろう。ほにやのよさこい踊りの価値観を賛美する宣伝をメーリングリストで流してた。それに同調する事の望んでたのだろう。どうも嫌だった。前にいた大学時代のサークルで、卒業した先輩をカリスマ崇拝しすぎたのを見たためか。
「くたばれ」と言われている感じだった。こちらの価値観が認められ始める時にはもう手遅れだ。あの人々には「お前の言う事にも一理ある」という言葉もなかった。沖縄にいる前、北陸にいた時にはあった。地域性の違いかもしれない。

女の見方

上記の引用の大半は女性と関わった時の物だ。
女性は優しく見えるだけ。かわいそうな人間を哀れみ、世話をする。そして、かわいらしい存在に反応して、感受性を出す。逆に汚らしい人間を排除する。きれい好きさにあいまって。すべては母性本能の包括と排除の二重性が左右している。

ある女性の「相談してください」と「分析するなら自分でしろ」の二枚舌に悩まされる。挑発されているようなものだ。かつての反発的で、物書きして分析している自分に戻りたい。女には注目もされてなかったし、話のずれで軽蔑されていた時の日を。

共感の幻想は私には猛毒にしかない。









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