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GUILTY&FAIRLY 『紅(あか) 別の世界とその続き』著 渡邊 薫     

第七話  買い物

 

買い物はとりあえずこの間、出掛けた時に見かけた肉屋に向かった。

外食はまだ落ち着かない。何か食材を買って帰ろうと思った。

 

肉屋に着くと、店の一番良いステーキ肉を指差して

「これを二枚ください」

と言ってみた。

店主は

「特選ロース二枚だね」と言って、肉を包み始めた。

いつもなら、何かのお祝いや自分へのご褒美の時に買う肉だったが、お金が要らないならと贅沢に二枚注文した。

店主はにこりと笑って、

「はい、特選ロース二枚ね。……また、洋服も作って貰いに行くからね」

と言いながら僕に差し出した。僕は一応、

「あの、お金はどうしましょう……」

と小さな声で言ってみたけれど、

「お金って?」

と、期待していた答えが返ってきたので、ほっとして、

「いや、何でもないです。じゃあ、ありがとうございます」と、そそくさと店を後にした。

少しして、後を追ってきたりしないかと後ろを振り返ってみたが、店主は僕を追ってきたりはしなかった。

何だか、悪い事でもしたような変な気分だ。

けれど僕はすぐに要領を覚えてその後も野菜をもらったり、果物をもらったりした。

タダでもらい放題だ!

 

僕は持ちきれない量の食材をなんとか家まで運んだ。

「ふ〜。ちょっと贅沢し過ぎたな」

あちこちで貰った食材を冷蔵庫に押し込んで満足していた。

こんなに贅沢な食材でいっぱいになるなんてこと滅多にない。

仕事もしなくて良くて。

ああ、なんて幸せなんだ。

 

 

何日もそうして、ダラダラと僕は食材を貰いに出たり家で寛いだりして過ごした。

たまに外食にも出てみた。

店の看板は閉店のまま、ただ気ままに過ごした。

リリーも初めの数日は家に来ていたが、しばらく休業にすると伝えると遊びにも来なくなった。

 

家の中も、もうかなりの物で溢れてきた。

僕は本当にダラけた生活をしていた。

ソファで寝転びながら、散らかり続ける部屋を眺めた。

 

……この世には法則があるらしい。前に誰かが言っていた。

——時間と共に乱雑になっていく。

勝手には元には戻らない。って。

部屋が散らかるのは、その法則。

法則なんだから、部屋が散らかるのはしょうがない。

ぼんやりとそんなしょうもない事を考えながら僕は部屋で寝転がっていた。

 

僕は時々、今まで夢を見ていたのかと思う。

僕しか覚えていない、妖精と一緒に過ごした世界。

とてもリアルな夢だ。

現実であったはずなのに、今この場所と世界の常識が違いすぎて遠い昔のようにも感じる。

確かに生きていた世界のはずなのに。

細やかな記憶が欠け始めている。

妖精のリリーに出会った日はどんな日だったのか。

あの時の彼女の美しさは印象的で鮮明に覚えていた筈なのに。

何故だか所々しか思い出せなくなってしまった。

確かにあったはずの日常。

自分自身もどんな人間だったのか。

何かに常に追われていた気がする。

価値の証明と同じ事なのかもしれない。

もう僕は、あの頃の僕とは全然違っていた。

——僕は、自由だ。

 

 

そうして一ヶ月ほど経った日、リリーがやって来た。

「ジャン!! いつになったらお手伝いがあるの?」

リリーは少し怒った様子だった。何かに焦っているようにも見えた。

「しばらく、お休みだよ。今はやる気にならないから」

「そんなこと言っていて大丈夫なの? そろそろ精算の時期だよ」

 

「……精算って?」

僕は、ゴロリと寛いでいた体勢から起き上がってリリーに尋ねた。

「精算だよ。私、人面魚になるのは嫌」

リリーは今にも泣き出しそうだった。

人面魚? 精算? 一体何のことだ?

「人面魚にはならないよ」

僕はリリーを慰めるように言った。

「ダメだよ。きっとなっちゃう! だって私は役に立たないから。ジャンは大丈夫でも、私はなっちゃう」

「どういうこと?」

「私、役に立つことがないから、お食事とか節約していたの。ジャンがいつもお店を閉めているから他にもお手伝いが必要な人がいないか出歩いてみたけれど、精算が近いからみんな人手は足りてて……」

「何の精算が近いの?」

「価値の精算! 私、最近は何も価値を生み出していないわ。なるべく価値は受け取らないようにしてきたけれど、きっとそれでも生み出したのもより、使った価値の方が多いわ」

「多いと、ダメなの? 何かあるの?」

「だから! 人面魚になっちゃうの! クレムおじさんだってそうでしょ?」

僕は、海で一瞬目があった人面魚の顔が頭をよぎった。

どこかで見たことがある気がした。

まさか……。

僕はハッとして、部屋の中を見渡した。

こちらの世界に来てかき集めた沢山のものを見て、血の気が引いたのを感じた。

リリーだけじゃない。

僕こそ最近はだらけるだけで何もしていない。

「精算って誰がするの?」

「分からない。誰も分からないよ」

リリーは、ボロボロと涙を流した。

なんて事だ。

全然夢の世界じゃない。

結局働かないといけないじゃないか。

——いや、待てよ。

「でも、働いてない人や、子供はどうするの? 仕事がなかったらみんな人面魚じゃないか」

「そんなの、人に親切にすれば良いだけよ。私みたいに物で価値を生みだすことができない人は、人に親切にするの。親にでも良いし、子供にでも、友達にでも良い。そうやって自分の価値を生み出すの」

だからこの街の人はやけに親切なのか。

でも、赤ちゃんは?

沢山の疑問が頭をよぎった。

そんな僕にリリーは、

「……私はダメなの。お仕事で価値を生み出したいけれど、特技なんてないから」

と、目に涙をまたいっぱいに溜めながら言った。

——別に評価されなくても生活できるなら、それはそれで幸せだと思うけど。

「そもそも、ピッタリ均等に与えて、受け取るなんて無理じゃない?」

「……うん。人面魚になっちゃうのは、たぶんあまりにも貰いすぎている人だけ」

「たぶん? そんなざっくりとした計算、誰が決めているの? 大体、そんな事分かっていたら親切も受け取りにくいよ。みんなギスギスするだろうし。……赤ちゃんだってどうするの?」

「赤ちゃんだって人に与えるものはあるわ」

「その測り方が曖昧だよ」

 

リリーは少し沈黙した後にこう、切り出した。

 

「ジャンは不思議に思ったりしない? 人面魚もいれば、アンナ達みたいに人間に近い、人魚もいる事」

何故だか突然、違う話になった。

「まあ、確かに。不思議だね」

「私、知っているの。その秘密」

「秘密?」

「うん。アンナが教えてくれたの」

「なんて言っていたの?」

「アンナも、元は人間だったんだって。アンナは望んでなったの。人魚に」

「えっ? そんな事出来るの?」

「うん。……海の底に、別の世界に繋がる扉があるんだって。そこを通れば良いって」

「……別の世界に繋がる扉?」

——またこの世界にも扉があるのか。

「うん。……それでね、私……実はずっと人魚になってみたかったの」

「人魚に?」

「うん。だって、アンナはとても美しいでしょう? 美しい尾鰭をつけて優雅に海を泳いで暮らすなんて、素敵じゃない?」

確かに、海にいるアンナはとても神秘的だった。

リリーは続けて言った。

「私、……人魚になりたい! アンナが安全にその場所まで連れて行ってくれるわ」

彼女の目は、すでに決意を固めた様子だった。

「人魚になってどうするの? ここでの生活は? 人魚になって、やっぱり人間が良かったってなってしまったら? 大丈夫なの?」

僕は、彼女を問い詰めるように言った。

「きっと人魚の世界は素敵よ。私、全部リセットしたい。やり直すの」

「今からでもやり直せるよ。何も悪い事なんて起こってないだろう?」

「……そうだけど。今の人生が一番良いとも思わない。だから、新しく挑戦するの。今ならまだ、私は頑張れる!」

人魚になるなんて未知の世界だ。

こんな恵まれた世界で、こんなに追い詰められてしまう彼女が、たとえ本当に人魚になれたとして、新しい世界でなんてやっていけるのだろうか。

「僕は……心配だよ」

「私、ジャンといる時間、楽しくて幸せだったわ。だから……」

 

彼女は僕に手を差し出して言った。

「ねぇ、一緒に行こう。ジャン」

彼女は笑顔でそう言うと、不思議そうな顔をして続けて言った。

「あれ? この会話、前にもしたかな?」

「……。さあ、どうだろうね」

僕は曖昧に答えた。

 

僕は、彼女のその誘いの答えに迷いはしなかった。

彼女を止めたいとも思った。

けれど彼女の目はもう決心していた。

それなら、僕の答えは一つだ。

彼女が行くと決めたのなら、僕が行かないという選択肢はなかった。

もう僕は、目の前にいるリリーを失いたくはない。

……彼女が一人で勝手に消えてしまわなくて良かった。

僕を誘ってくれて本当に良かった。

「行こう。一緒に」

そう答えると、彼女はとても嬉しそうに笑った。


GUILTY&FAIRLY  『紅 別の世界とその続き』(渡邊 薫 著)
全てはある妖精に出会ったことから始まった。
これは、はたして単なる冒険の物語だろうか。

異世界への扉。パラレルワールドに飛び込むことが出来たなら、どうなるのだろう。
自分自身はどう感じ、どう行動していくのだろう。
あるはずがない。
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