見出し画像

私の宝物

第二話  私の宝物

私はきっと、良い母親ではなかった。
私は二十七歳で三年ほど付き合った彼と結婚した。
その年にすぐに妊娠して、一人の男の子が生まれた。
 
出産した病院からその子を連れて帰る時に思った。
こんな可愛い天使を連れて帰って良いなんて。
私が妊娠して、私が産んだ子だ。
もちろん良いに決まっているけれど、物凄い贈り物だと思った。
とても幸せだった。
この子が三歳になる頃に、夫の海外赴任が決まった。
夫について行こうか迷ったけれど、数年で戻るという言葉を信じて、こっちに残る事を決めた。
初めての子育てを海外でするのは不安だったから。
夫は仕事でそのまま海外を転々とするようになって、結局何年も家に帰って来なかった。
 
私がこの子を守らないと。そう思った。
息子は同い年の子より少し小柄で、可愛らしかった。
けれどそんな息子も五歳にもなると、急に男の子らしい顔つきになってきた。
 
その頃、知人がキッズモデルにこの子の写真を送って応募してくれていた。
知らないうちに合格が決まり、撮影場所に向かった。
小さくて頼りないと思っていたこの子は、初めてするいろいろなポーズを上手にこなしていた。
広告になったその写真は、キリッとした男の子の写真で、たくましくもあった。
私はいつの間にこんなにしっかりしたのかと嬉しくなった。
 
なんでもすぐに上達する努力家だった。
一緒にカレーを作った時は、ジャガイモの皮むきをしてくれた。
最初はすごく時間をかけて、所々に皮が残ったジャガイモも、何度か一緒に作っているうちに早く綺麗に剥けるようになった。
 
この子が六歳の時に、ランドセルの広告モデルの話がきた。いつもより写真は大きくて、パンフレットにも載った。
ポージングも自然と、すぐに上達した。
どんどんと吸収して成長していく息子が誇らしかった。
パンフレットを手に子供の頭を撫でた。
まだずっと、小さくいて欲しい。
どんどん、どんどん成長する可愛い、可愛い私の宝物。
私はこの子の存在が嬉しかった。
いつも私に幸せをくれた。
 
この子は空を見上げてぼんやりするのが好きだった。
けれど、気づけば空を見上げなくなって、部屋の隅で本を読むようになった。
段々と大人びてきた。私はその様子が嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
 
私は、きっといい母親ではなかった。
料理は得意な方ではない。
息子が幼稚園に行っていた頃は、毎朝幼稚園に持っていく為のお弁当を準備するのが少し憂鬱だった。
それでも、卵焼きを焼いて、ウインナーを焼いて、冷凍食品のおかずを入れてなんとか作っていた。
冷凍食品を入れるのには少し、罪悪感があった。
良い母親は、きっと全部手作りだ。
弁当箱を持って家に帰って来ると息子は、
「お母さんの料理が一番美味しい。お弁当、美味しかったよ」と言って、綺麗に空になったお弁当箱を渡してくれた。
良く出来た息子だ。
私は、またじわりと罪悪感を覚えた。
 
ある時、いつもわがままをほとんど言わないこの子が、どうしても猫を飼いたいとせがんできた。
私は動物を飼った事がなくて躊躇したけれど、珍しくせがむ息子に負けて猫を見にペットショップに行った。
沢山の犬や猫がいる中、一番手前のケースに入った黒い子猫を気に入ったみたいで、透明なケースにへばりつくようにジーと見ていた。
猫は、息子の方をチラリと見て、ケースの奥の方へ移動し、丸まったまま動かなかった。
息子はしばらく猫を眺めていたが、動かない猫を見て諦めたように、お母さん帰ろう、と言った。
私は飼わなくて良くなった事に少しほっとして、息子の手をとって家に帰った。
息子の表情は少し悲しそうに見えたけれど、私は何も言わなかった。
 
中学生になって、キッズモデルの契約期間が終わったのもあり、息子と話す機会が減った。
その頃から、なんとなく息子と会話が続かなくなってきていた。
私はひとりの時間を掃除に費やした。
黙々と手を動かしていると余計な考え事などしなくて済んだ。
綺麗に掃除し終わると、自分へのご褒美に好きなお花を買って家に飾った。
家の中が明るく賑やかになるようで嬉しかった。
あまりリアクションのない息子に、お花の事を色々と独り言のように喋り続けた。
私の話が面倒くさくなったのか、息子はある時から自分の部屋で過ごすようになった。
私は少し寂しかった。
高校生になって、さらに会話が減った。
こちらから話しかけても、
「ああ」とか、「そう」とか、返ってくる言葉は一言ぐらいだった。
 
そんな息子が、高校卒業間近になって、進路先を悩んでいた。
キッズモデルだった頃のつながりもあって、彼はモデルにならないかと声を掛けてもらっていた。
私は彼のプレッシャーにならないように進路に口を出さなかったが、周り近所の人たちは息子に期待していた。
ある時彼が、
「モデルになる事にしたから」と、私に声を掛けてきた。
あまり自分から声を掛けなくなっていた彼が、私にそう声を掛けるのは珍しかった。
彼は何か言って欲しそうだった。
私は、
「そっか。モデル。すごくいいと思う」と答えた。
正直、どんな道でも良かった。
昔と同じ様に、彼が良く笑ってくれさえすれば。
最近の彼は、毎日少し、つまらなそうに見えたから。
心配だった。
でも、進みたい道が見つかったなら良かった、そう思った。
 
高校を卒業すると、家から通えないのもあって、彼は一人暮らしを始めた。
心配で電話を何度か掛けた。
でも彼は、一度も出なかった。
電話を切った後は、嫌なモヤモヤが私の中に渦巻いていた。
私はどこで間違えたのだろう。
そんな事をぼんやりと考えていた。
そのうちに、出てくれない彼に電話を掛けるのがこわくなった。
拒絶されているのが辛かった。
私は電話を掛けるのをやめた。
代わりに手紙を書く事にした。
電話のコール音をずっと聞かなくて良くなったし、メールは返事が来ないかずっとチェックしそうな自分が嫌だった。
手紙なら一方的でも、文通のようで楽しかった。
何通送っても彼からの返事はなかった。
 
何の為に生きてきたのか。
自分の人生が分からなくなってきていた。
何年もぼんやりとその疑問を抱えながら生きてきた。
家にお花を飾らなくなった。
 
するとある日の誕生日に、
家にお花が届いた。私の一番好きなお花だった。
そのお花には手紙が添えられていた。
私の大切な息子からだった。
 
手紙には一言、美しい字で、
「あなたが母で良かった」そう書かれていた。
口数の少ない、息子らしい手紙だった。
私はボロボロと涙を流した。
私の今までの、全てが報われた気がした。
 
私の大切な、大切な宝物。
あなたの努力家で、優しくて、とても温かいところに沢山の人が気付いてくれますように。
私は、良い母親ではなかったかもしれないけれど、
あなたの母になれて、すごく幸せな母親だった。




人生を歩む上での違和感、悩み。そういったものに出くわした時のとっさの反応。あなたは一体どう反応するのだろうか。
この物語を読むことで浮かび上がる、自分自身の輪郭。人生が大きく良い方向へと舵を切るのは、どういう時なのだろう。自分らしい生き方とは。

amazon kindleにて販売中。
kindle unlimitedの方は無料で読めます。
https://a.co/1uQb6fS


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?