世界は僕に語りかけている。


 いつの頃からか、手足が痺れるようになってきた。
 はじめは気にも留めなかったが、段々と、頻繁に痺れるようになってきた。突然身体の右半分や左半分が前触れもなく痺れてきて、一、二分じっとしていないと、痺れが治まらなくなるようになってしまった。
 いったい自分のからだはどうしてしまったのだろう。
 仕事が終わると、いつも疲れて何もする気が起きないから、食事はすべてスーパーの惣菜や、コンビニ弁当で済ませていた。
 そのせいかもしれないと思い、生野菜などを買って食べてみたりしたが、状態は何も改善しなかった。
 改善するどころか、日に日に痺れる回数も増えていくようになっていった。
 外科や内科の病院に行ってみたが、どこにも異常はないと言われた。ビタミン剤や、内科で勧められた漢方薬なども飲んでみたが、全く効き目はなく、状態は一向に改善しなかった。
 やがて、仕事の電話応対をしていると、突然言葉が上手く出て来なくなったり、相手が何を言っているのか、よくわからなくなるような感じにまでなるようになった。からだが痺れている時間も、段々と長くなっていた。
 ネットで調べてみると、脳腫瘍の疑いがあると書いてあった。脳腫瘍の症状に、確かに当てはまっているのだった。
 仕事が休みの日に脳神経外科に行った。頭部CT検査の結果、影が映っていて、脳腫瘍かもしれません、と医者に言われた。カゼをひいてますね、という感じで、まるで軽い体調不良か何かのように僕はそれを伝えられた。
「脳腫瘍ですか」と訊くと、「そうです」と医者は言った。そしてそれが本当のことなのですから、と言うかのように頷いた。
 週明けにMRIで再検査をすることになった。帰り道、これまでただビルと見えていたものが、なぜか理由はわからないが、コンクリートで作られている大きなモノだ、というような、すごく物質感をともなったものとして見えてきた。僕はここからいなくなるんだ。もうすぐ僕だけいなくなるかもしれないんだ、と思った。
 再検査の結果、脳腫瘍で間違いないとなれば、状態によってはもうあと何か月もないのかもしれない。それだけしか僕は生きられない、と思っても実感がよくわかない。腫瘍の場所によっては、残りの時間もずっと不自由な状態で過ごさなくてはならないのかもしれない。
 これまで僕は、いろいろなことを嘆きながら、きっと僕の人生はこれで終わりではないはずだと、どこかでそう信じていた。でももしかしたら、つまらない毎日だけがあって、突然それが終わるのだ。何の幸せも手にしないで。だからといって、僕にはどうしていいのかがわからなかった。
 夏までと言われたら、僕にはもう秋はこない。冬も来ない。そんなことを、検査の日まで何度も考えてしまった。
 
 当日は、案外たんたんと病院に行くことが出来た。検査着に着替え、MRIという機械がある部屋に連れて行かれた。こののっぺりとした、人が入っていく穴のある大きな機械にしばらく入っていると、からだの様子がまるわかりになるらしい。中に入れられて検査されている間、クラシックの音楽が流れていた。あと何日で死にます、と言われるかもしれないのに、リラックスする音楽を聴かされるのだと思った。
 検査が終わり、しばらく待たされたあと、診察室に呼ばれた。誤診だったと言われた。腫瘍などなく、CTの検査中に頭を動かしてしまったかして、影が写ってしまったのだろうといわれた。
 MRIで撮られた僕の脳の写真が大写しにされていた。それをもう一度確認するように医者は見て、どこにも問題はありませんと言った。どこにも問題はありません、と言われても実感がない。これがあなたの脳です、と言われても、実感がない。僕は人の脳など見たことがない。おそらく一生見ない。あくまでそう言われているものを、何となく知っているだけだ。これが僕の脳だ、と言われているものを、僕はもう一度横目で見た。
 診察室から出てくると、順番を待っている人は誰もいなかった。がらんとしていて、不思議と、夢の中にでも入りこんでしまったかのような感じがした。数日前には、あと少ししか生きていられないかもしれない、と言われ、それから数日たった今は、そんなことははじめからなかった、と言われた。よくわからなかった。ただ僕の前に病院のロビーがある。
 病院から出ると、光が射しているように見えた。どこかに光が射しているというわけではなく、すべてに光が射しているのだった。
 道路を隔てた向かいにちいさな公園があった。木がこちらを見ているような気がした。公園にある二本の木が、風に揺れながらこちらを見ていた。ブランコがあり、ちいさな子どもたちがそれを漕いでいた。壊れてしまうのではないか、というほどの勢いで子どもたちはブランコを前後させていた。その子どもたちだけでなく、隣をいま通り過ぎて行ったくたびれた背広を着た会社員にも、少し先にあるデパートからの帰りなのか、紙袋を下げて、こちらに歩いてくる太った中年女性にも、すべての人に光が射しているようだった。風が目に見えるような気がした。まるでスポットライトをあてたかのように、人や物すべてに光が射している。ランドセルを背負ったふたりの女の子が、何か楽しみなことがあるのか、ふたり並んで走ってどこかに急いでいた。まるで世界が僕に語りかけているようだった。

 僕はどこにでも行っていいのだと思った。何をしてもいいのだと思った。そうしてはいけないと、思わされているだけなのだ。
 僕は腹が空いていることに気づいた。朝から何も食べてなかった。何か食べたいが、時計を見ると午後の3時を過ぎていて、どこか適当な店はないだろうかとあたりを見回した。目に入るものすべてに光が射し、輝いているように見えるのだった。少し歩きながら店を探した。
 チェーン店のうどん屋があったので、そこに入ることにした。この町に住む僕は子どものころからよく利用しているうどん屋だった。うどん屋だけど、うどんやそばだけではなく、にぎりやいなりは他に売ってる店はあるとして、このうどん屋はおはぎやきなこ餅まで売っている。食券制で、はじめはうどんとおにぎりぐらい食べるつもりだったが、券売機のボタンの中に、ラーメンがあることに気づいた。ラーメンのボタンがあることに気づいたら、ラーメンが無性に食べたくなった。ラーメンのボタンを押そうとしたら、横にチャーシュー麺のボタンがあることに気づいてそちらを押した。大盛りのボタンもあったので、大盛りのボタンも押した。こんなときこそ、ラーメンにはチャーシューをたくさん入れて、麺も大盛りにして食べたいような気がした。
 食券をカウンターに持っていきながら、きっとこれから食べるラーメンより美味いラーメンは、二度と食べられないだろうと思った。
 食券をカウンターに置くと、カウンターの中にいた店員がチャーシュー麺大盛りですね、と言う。僕は頷いた。お願いします、と言って席についた。時間帯のせいか僕しか客はいない。鍋から湯気があがっている。店員が僕の為のラーメンを作っている。もやしのニオイがした。僕はラーメンの上にのっている、あまり火の通っていないもやしのニオイが苦手だ。でもそのもやしのニオイが、いまはずっと嗅いでいたいほどいい匂いに感じた。
 僕はどこにでも行ける。何をしてもいい。食べたいラーメンを食べることが出来る。僕には明日がやってくる。そう思いながら、今この時、ラーメンが出来るまでの時間を僕は味わった。店員がどんぶりを両手で持って、僕の方にチャーシューと麺が大盛りになったラーメンを持ってこようとしていた。僕はそれをじっと見ていた。


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