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【第2回】小説家になるために必要な能力はただひとつ!

 さて、はじまりました「モノカキTIPS」第二回。

 そもそも、「TIPS」ってなに?っていう方もいらっしゃると思うんですけど、現代語ですと「パソコンを使う時の裏技・テクニック集」みたいな意味なんですよね。そういうのもいずれ書けたらいいなと思うんですけど、どちらかというと、原義である「助言、アドバイス」の意味でとらえて頂けるといいかなと思います。まあ、助言!とかそんなえらそうなもんでもないんです。僕が勉強したことの発表会みたいなもんで。

 そもそもですね、モノカキに有効な裏技だのテクニックなんて、あんまりないと思うんですよね。締め切り前なのに眠くなったときに、無理矢理耐える方法とか?(ギガシャキ一発)

 たまに、天才作家や売れっ子作家が裏技やらテクニックを紹介することもありますけど、常人がマネしてもケガするだけですので、参考程度にとどめおくべきだと思うのです。成功者の裏技ってのはうまくいった人の結果論ですし、天才は、凡人がマネできないことができるから天才なわけですし。
 そういう人たちはそもそも、他人の裏技とか参考にしたことないはずですよ、絶対(偏見)。今、このノートを読んで執筆活動の参考にしようとしている方がいらっしゃったら、間違いなく(僕と同じ)凡才でございます。

 でも、小説家になるのに、必ずしも天才である必要はないですからね。

 ということで、今回のテーマはですね、僕が思う、「小説家になるために必要な能力」について、考えていこうと思います。まあ、あくまで僕の持論ですから、参考程度に見て頂ければと思います。ほんと、参考程度に。

■小説家になるために必要な能力、それは、、、!


 これね、もったいつけずにいきなり言い切りますね。それは!

 ある程度正しい日本語で、原稿用紙300~400枚程度の話が書ける能力!


 そんだけ。「必要」なのは、ほんとにそんだけだと思います。ハァ?とお思いの方もいらっしゃるでしょうけど、大真面目に言っております。

 簡単そうに見えますけど、作家志望うんぬんにかかわらず、実際にこの条件を満たしている人は、「年収1000万以上を稼いでいる人」と同じくらいの希少種じゃないかなと思うんですよ。ちなみに、日本国内で年収1000万以上稼いでる人の割合は、全人口の4%くらいらしいです。少ない。
 小説家になるだけの能力がある人が4%、っていうのはあくまで僕の主観ですけど、当たらずといえども遠からずというやつではなかろうか、と思っております。根拠は皆無ですけれども。

 余談ですが、「能力はひとつだけ!」とかいうタイトルをつけながら、
 ①ある程度正しい日本語で文章が書ける。
 ②原稿用紙350枚~400枚程度のお話が書ける。

という二つの要素がある点については、お目こぼしいただければと思います。「ひとつ!」って言った方が、なんか、どーん!って感じがあるものでございまして。

■「ある程度正しい日本語」で文章書けます?

 作家志望でいろいろ執筆活動などしている方は、日本語で文章書けるか、なんてバカにしてんの?と思うかもしれませんけど、実際問題、これが作家志望の人をばっさり切り落とす、最大の足切りラインじゃないかなあと思うのです。このラインをまたぐことができずに脱落する方がほとんどなんじゃないでしょうか。

 僕が受賞した「小説すばる新人賞」の一次選考、俗にいう「下読み」をされた方から直接うかがったことなんですけど、一次で落選する作品のうち、結構な数が「小説の体を成していない」という理由で落とされているんだそうです。あとはまあ、明確なカテゴリエラー(ミステリ大賞なのにミステリ要素のない作品とか、R18でD51について書いてあるとか)、既刊作品そのまんま、別の新人賞の落選作の焼き直し、みたいなものがあるらしいですが、この辺の事情はまた別の機会に。

 で、本題の続きですけどね。
 つまり、「ある程度ストレスなく文章が読める」「ある程度小説として形になっている」というだけでも、新人賞の一次選考通過の確率がめっちゃ上がるということですよ。

 ポイントは、「ある程度」というところ。

 結構勘違いされている方が多いと思うんですけど、小説家っていうのは、全員が全員、必ずしも日本語のエキスパートである必要はないのですよね。「ある程度」正しい日本語を使って文章を組み立てられれば大丈夫。本になる前には編集さんや校正さんが目を光らせてくれますし。完璧な日本語、完璧な文章を書くにこしたことはないですが、そこまでの能力が必須か、と言われたら、そういうもんでもないと思います。

 豊かな語彙力や繊細な描写力、などというのは個々の作家さんの固有スキルとか特殊アビリティみたいなもんなので、別にそういう突出した文章力がなかったとしても、自分が書きたい小説と自分の文章力がマッチしていれば作品を成立させることができますし、その作品を「面白い」と感じる人がいれば、お声がかかることもあります。

 一見、ハードルがえらい低いように見えると思いますけど、この「ある程度」がくせものなんですけどね。

■「ある程度」正しい長文を書くことは難しい!

 以前、小説とは関係ないんですけど、官公庁向け文書の添削というお仕事をやらせていただいたことがあるんですけどもね。

 執筆者は、まあ、普通に社会人をやられてきた方々で、年代も様々。もちろん、会話をしていて日本語がおかしい、なんて思うことはありませんし、メールの文章が拙い、なんていうこともありません。中には高学歴の人もいましたし、管理職レベルの優秀な方もいました。

 でも、そういう方々が書いた、原稿用紙15~30枚相当の文章を実際に添削してみると、紙の余白が赤ペンでみっちり埋まっちゃうんですよね。添削を受けた人は普通に書けていると思っていますから、マジか、って顔が引きつってましたけども。

 僕が見ていて一番目立ったのは、「主語と述語の関係がおかしい」文章。そもそも主語がなんなのかすらわからない文章も少なくなかった。主語と述語なんて日本語の基礎中の基礎ですけど、それを「ある程度」でも正しく使いこなせているな、っていう人は、ほぼいませんでした。

 たった一文でさえその有様ですから、文書全体を通して読んでも、初読ではまず理解不能というクオリティであることがほとんど。論旨に沿うべきロジックがメッタメタになっていたり、結論に至るまでの道筋があっちゃこっちゃいってしまって、「結局、なにがいいたいの?」となってしまう。文章能力がないというよりは、たぶん書き手側に「ストーリーを組み立てる」という意識が希薄だった、という印象でした。

 そして何がヤバいかというと、いちおう文章を書くのが少し得意なはずの僕自身がためしに書いてみても、時間がなかったり論旨がきっちり煮詰まっていなかったりすると、あれ、文章になってないじゃん、っていう出来になっちゃったのです。えらそうに人様の添削してる場合じゃなかった。

 でも、僕も含め(と言っておきたい)、みなさん極端に国語力がなかった、なんてことはなかったはずです。メールくらいの文章量ならきっちり書けるはずなのに、原稿用紙15枚を超える長さにもなると、上手く書ける人は一気に少なくなってしまうんですよね。でもこれが「普通」の水準なんだと思います。

 原稿用紙15~30枚分というと、大体、短編の中でもちょい短め、という分量。その程度の枚数ですら話の軸がブレないようにするのは大変なのに、300~400枚、いわゆる長編小説相当の長さのストーリーを破綻なく書ききるってのは、実は相当難しいことなのです。

 すでに何本も長編を書き上げている人は、そこはクリアしている、と思っているかもしれません。難しい、という意識もないかもしれない。でも、もう一度読み返してみてください。ほんとに、出版されている小説と同等レベルか、遜色ない程度のレベルに達していますかね?それ、(根拠はないけど)日本人の4%しかできないくらい難しいことなんですよと。

 僕は、デビュー作が人生で初めて書き上げた長編小説なんですけど、もちろん、ある日思いつきで書き始めたら簡単に賞獲れちゃった、というわけじゃありません。そこまで人生甘くないですからね
 僕はもともとブロガーではありましたから、短文とか日記の構成を考えつつ文章を書くってのは苦手じゃなかったですし、日記ブログを何年も頻繁に更新していたこともあって、「書くこと」自体にはそこそこ慣れていたのです。ブログ上で、短編小説も5、6本書いていましたし。
 それでも、いざ長編小説を書こうとしてみると、短文でできていたはずのクオリティに全然達しない。筆も進まない。そりゃあもうポキポキ挫折しました。書き出し10枚くらいで何度も。あきらめが早え。

 でも、チャレンジと失敗を何度か繰り返しているうちに、ようやく400枚(応募前380枚くらいだったかな?)書けたんですよね。約2年かかりましたけどね。

 つまり、小説家になるための基本能力のうち、僕に最後まで足りなかったのは、「300~400枚程度の長文を書き切る能力」だったんでしょう。何度かトライすることでようやく一定レベルに達することができたので、新人賞という土俵で勝負ができる原稿になったんじゃないかなと思うわけです。

 新人賞に何度も応募して、一次二次選考で落選して、それでもあきらめずに応募し続けてプロになった作家さんもたくさんいらっしゃいます。たぶんですけど、そういう方は「長文を書く能力」が先に伸びた方で、応募を繰り返しながら「ある程度正しい日本語を書く」みたいな部分が追いついてきたタイプなんだと思うんですよね。
 天賦の才能で一発デビューなんて天才はほんとに稀だと思います。「我こそは天才である!」と思うなら、さっさと原稿書いて応募すれば、あっという間に賞獲ってデビューできますから、こんな駄文を読む暇なんぞとらずに、急いで小説書いた方がいいです。さあ、さっさと書くんだ!天才!

■小説を書くのに才能なんか要らん


 ちょっとね、タイトルは言い過ぎましたけども。

 小説家志望の方の中には、今まさに壁にぶち当たっていて、公募新人賞に何度送っても落選続き、なんて方もいらっしゃるかもしれません。小説家になるには才能が必要なんだ、私には才能がないんだ、なんて。でもね、一旦ちょっと立ち止まって考えてみるべきじゃないかなと思います。

 前述の通り、新人賞を獲るとか、編集の目に留まる、とかいうレベルの原稿を書くには、ある程度正しい日本語で、原稿用紙300~400枚程度のお話が書けるという能力が必要不可欠です。一次二次での落選が続いているようなら、十中八九、その能力がまだプロになれる水準に達していない。その状態で、アイデアだ才能だ、と言うのは時期尚早なんだと思います。
 三次四次選考にコンスタントに残るようになったら、能力的にはある程度のレベルになっているんだろうな、と思っていいんじゃないでしょうか。最終選考に残るくらいになったら、そこでようやく、才能やら運やらというもう一押しが大事になってくるんじゃないかなと思います。

 小説家を「飛行機」に例えるとしたら、才能というのは、「どのくらいのスピードで飛べるか」とか、「何人の人を乗せられるか」とか、そういう性能にあたる部分だと思うのです。性能には個人差があるかもしれないですけど、空を飛ぶ能力さえあれば、最低限「飛行機」と呼んでもらうことはできます。

 一方、ある程度正しい日本語で、原稿用紙300~400枚程度のお話を書く能力というのは、飛行機でいうところの「」なんだろうと思うんですよね。翼がなければ、エンジンがいくら高出力でも揚力が生まれることはありませんから、前に吹っ飛ぶだけで浮き上がることすらできない。空を飛べなければ、飛行機にはなり得ないということです。アイデアや才能だけあっても、最低限、まともな原稿が書き上げられないようじゃ、とても小説家にはなれん、ということですね。
 
 じゃあ、飛べさえすれば才能は不要なのか、と言われるとですね、場合によってはそういうこともある、というふわっとした答えにならざるを得ないんですけども。

 というのも、書籍というのは、百戦錬磨の編集さんや営業さんですら「なにが当たるかさっぱりわからん」と言うくらい、突然わけわからん売れ方をすることがあります。「決して天才ではない人」が書いた「平凡な」小説が、どっかんこ大当たり、大フィーバーから人生の確変確定、大人気作家に!なんてこともありうるのです。

 小説が売れる要因は、小説のクオリティだけではなくて、装丁が目を引くとか、有名人がSNSで面白いって紹介したとか、はては帯のコメントが秀逸だったとか、作家の才能と直接関係ない力も働きます。才能溢れる人の小説というのはやっぱり素晴らしいのですけども、素晴らしいものが売れるとは限らない、というのが出版業界の恐ろしいところです。読書家の方でしたら、この作家さんなんで売れないんだろう?と思うような作品と一度か二度は出会っているのではないでしょうか。

 異論反論あるかもしれませんが、エンタメ作家はやっぱり「著作が売れる」が大正義ですから、ある程度正しい日本語で、原稿用紙300~400枚程度のお話が書ける能力、つまり「本を出すにたえうる能力」さえあれば、天才だろうが凡才だろうが、ベストセラー作家になるチャンスが与えられるということです。
 
 正直ね、生まれ持っての才能とかセンスっていうのはどうしてもありますし、そこはちょっとやそっとのことじゃ埋めようがないんですよ。天才と才能で張り合ったって勝てませんからね。じゃあ努力すべきだ、とは言いますけど、天才と呼ばれるような作家さんでさえ、当然のように努力してますから。天才が努力したら、もう凡人にはお手上げです。僕は200回転生しても村上春樹になれる気はしない。

 でも、文章力とか構成力という部分は、間違いなく後天的に身につける能力だと思うのです。生まれた瞬間から日本語の読み書きできる赤ちゃんいませんからね。そして、エンタメ小説の世界は才能だけで勝ち残れる世界というわけでもないですから、天才にも凡才にも等しくチャンスが与えられるわけです。才能や実力で劣る平幕力士だって、横綱に勝って金星をあげるチャンスがあります。幕内の土俵に上がりさえすれば

  前回、「モノカキTIPS」では、こうすべき、という書き方はしない、と言ったんですけど、本一冊書き上げる能力というのはどうあがいても必要な能力ですから、こればっかりは「必要です!」と言い切ってしまいます。でも、よくよく考えたら当たり前ですよね。作家なのに本書けない、ってあり得ないわけですから。どこの〇村河内かというね。

 逆に言ったら、この能力さえ身につければ、可能性はいくらでもあるということです。人間必ず、なにかしら秀でた才能があるものですから、基本能力さえ備われば、その時こそ、個人の固有スキルとか特殊アビリティがモノを言うのです。

 前に、ちょこっと作家志望の方の原稿とかブログを読む機会があったのですけども、行き詰まる方というのは、おおよそそういったスキルやアビリティを磨くことに傾倒したり、アイデアやオリジナリティにこだわったりしてしまって、自分の文章力、構成力が一定レベル以上になっていないことに気づいていない(受け入れていない)ことが多いように思います。

 翼のない飛行機の性能をいくら上げても、飛行機にはなりませんし、まずは翼を手に入れることが先決じゃないかなと思います。空を飛ぶ力さえあれば、もうその時点ですでに、チャンスさえあれば小説家になる素養はあるということですから、あとは努力して性能を高めるなり、チャンスや運を掴みにいくなりして、自分のルートを探していけばいいはずです。小説家になるためのルートに、正解はありませんからね。
 

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 ということで、今回は「小説家になる」ために必要な能力について考えてみました。飛行機の翼に例えてお話をしたわけですけれども、じゃあどうしたらその翼を得ることができるのか?レッドブル飲む?みたいな話はまた次回に。

 あ、それから、本マガジンで取り上げてほしいネタなどありましたら、上記からでも。まだまだ読者数が少ないマガジンですので、プロの方からの「質問」というテイの温かいネタ振りもお待ちしております。

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小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp