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昭和生まれの私がこれまでに通ってきたゲーム(1990年代前半)

私が今までに通ってきたゲームを振り返るシリーズ。
ニーズがあるかわかりませんが続けていきます。
第3回目は1990年代です。

前回の投稿についてはこちら↓をご覧ください。
昭和生まれの私がこれまでに通ってきたゲーム(1980年代前半)
昭和生まれの私がこれまでに通ってきたゲーム(1980年代後半)

90年代に入る前に、一つ大事なゲームを忘れていました。

それは『ジーザス』というSFアドベンチャーゲームです。1987年4月28日に発売されたPC88用のゲームで、兄から勧められてプレイしました。
コマンド選択でストーリーが進行していくのですが、最後に敵を倒す鍵となる音楽を入力するのが面白かった記憶があります。音楽はすぎやまこういちさんによるもので、曲はいまでも耳に残っています。ゲームも心に残る名作です。

スーパーファミコン(任天堂)

中学に上がった頃にスーパーファミコン(1990年11月21日発売)が登場します。

遊んだゲーム
『スーパーマリオカート』
『スーパーマリオコレクション』
『スーパーマリオ ヨッシーアイランド』

◎特に好きだったもの
『弟切草』

中学生になってバスケ部に入り、あまりゲームで遊ばなくなった時期です。そんな中でもマリオだけはプレイしてました。
高校生になってから発売された『弟切草』はサウンドノベルという新しいジャンルのアドベンチャーゲームで、怖いけど夢中になって遊んでいました。

セガサターン(セガ・エンタープライゼス)

1994年11月にセガサターンが登場して、その2年後ぐらいだったでしょうか。大学2年の頃にはじめて一人暮らしをして、そのお供として兄のサターンを借りて遊んでました。

遊んだゲーム 
『デイトナUSA』
『エネミー・ゼロ』
『Dの食卓』
『七つの秘館』

◎特に好きだったもの
『デカスリート』

『弟切草』でアドベンチャーゲームの面白さを知ったので、この辺りからアドベンチャーゲームが増えていきます。
『デカスリート』は大勢でやると盛り上がるので、サークル仲間が遊びに来たら必ずやるゲームでした。

エネミーゼロはインタラクションムービーと呼ばれたアクションホラーゲームで、怖かったゲームナンバー1です。見えない敵の位置を探知機の音だけで判断するというのがめちゃめちゃ難しくて、怖すぎて一人ではできなかったので、大学の先輩と一緒に遊んでいました。

サターン発売のほぼ同時期の1994年12月にプレステが登場して、サターンで満足していた私は少し経ってから購入することになるのですが、それについてはまた別の機会に…。

ゲーム以外のことも書きたいので、続きは不定期になるかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。

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