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ギリシャ2週間 <アテネ その1>

会社を退職したら「とにかく旅したい!」気持ちに駆られて、日本国内で一番行きたかった屋久島に3月に行き、次に日本以外で行きたい場所を考えてみたら、即座にギリシャときた。そんなわけで屋久島から戻ってすぐ、ギリシャ2週間の旅を4月に決行した。青年のバックパッカーとは違って、大人な女の一人旅。宿泊はもちろんホステルではなく、かといって超高級ホテルでもなく、でも予算内でというシバリも特に設けない。ゆるく気ままな旅。

このギリシャの旅については、前のブログでも少し書いたが、今回はもう少し興味のある部分を掘り下げていく。ギリシャの中で最も行きたい場所がクレタ島とデルフィだったけど、まずはアテネに3泊してアテネ市内を回ることにした。


アテネ到着

ロサンゼルスからアトランタ乗り換えでアテネに着くデルタ航空の便を選んだ。朝8:15発で翌朝10:40に着く。午前中の到着で着いた当日に時間がたっぷりあるから安心なのでこの便にした。空港到着まで結構長くてしんどい。

だが、途中、ヨーロッパ上空に差し掛かった辺りから、ワクワクが止まらなくなる。座席のタッチパネルで飛行空路を見てみると、フランス、スイス、イタリア上空、そしてイオニア海とある海の上空を横切ってアテネに着く。イオニア海って?地中海じゃないの?もうよく知らない異国な地名が出てきているじゃないか。
地中海はいくつかの海域に呼び方が分かれていて、エーゲ海やアドリア海も、イオニア海のように地中海の独立した呼称を持つ海域だそうだ。そう言われてもわかりにくいが、ギリシャの西の海域がイオニア海だ。

アテネまでヨーロッパ上空を通過

入国は簡単で、パスポートにペタンと入国スタンプを押されただけ。北斎の浮世絵仕様のパスポートなので、スタンプ押してほしくなかったけど。
多少の現金が必要だろうから空港で少しユーロを購入し、後はできる限りクレジットカードにする。

ホテル予約時に空港からのお迎えも予約しておいた。これはホテルと契約している送迎会社が運営していて、メールで予約。空港には、英語の話せるギリシャ人の運転手のおじさんがお迎えに来ていて、「Mr. Miller」と手書きのサインを掲げて男性の客を待っている様子。「それ私、Mrs.ですよ」と笑顔で挨拶して私のギリシャが始まった。

ホテルはアクロポリスのすぐ近く、歩いて5分ぐらいの場所に決めていた。アテネ初心者としてはまずアクロポリスでしょ、ということで。この辺りはしっかり観光客で賑わっている。2024年4月17日、パリオリンピック聖火の採火式がオリンピアで行われた後でその聖火がちょうどアテネに到着した日だった。

アクロポリス

ホテルから歩いてすぐ行けるアクロポリス。チェックイン後さっそく出かけることにした。

アクロポリスの丘が見えてきた
現在も使われている古代の音楽堂の横を歩いて

アクロポリスの丘の周りは遊歩道になっていて、ギリシャ音楽を演奏するストリートミュージシャンもちらほらで、ギリシャ気分を盛り上げてくれる。先に進んで、古代の音楽堂の横を過ぎて右へ少し登ると入場券売り場がある。アクロポリスはプロピュライア(前門)、パルテノン神殿エレクティオン神殿アテナ・ニケ神殿などが並ぶ、「高い丘の上の都市」という意味の標高150mの小高い岩山全体を指す。チケットは買ってなかったけど、少し並んですぐ買えた。4月だからか、観光客でごった返すというほどではなかった。

最初に、この神聖なるアクロポリスの入り口としてプロピュライアという堂々とした建物がある。といっても柱ぐらいしか残っていないのだが。この入り口に到達するまでにも上へ上へと階段を登る。振り返るともうアテネの街は遠く下界になって、ここからは神聖な領域だとよくわかる。

プロピュライア

プロピュライアの右手には小さな神殿、アテナ・ニケ神殿がそそり立つ。中にはアテナ女神に使える勝利の女神のニケ像があったという。ニケ(Nike) には翼があって、その翼がモチーフのロゴで有名なナイキの会社名になっている。でも、ここにあったニケ像には翼がなくて、アテナイ(古代のアテネ)から勝利が飛び立っていかないように翼を付けなかったという面白い話もある。

アテナ・ニケ神殿

パルテノン神殿

プロピュライアを抜けると、圧巻のパルテノン神殿が右斜め前方にドカンと目に入る。その前の広場中央には戦いと知恵の女神アテナの像があったという。アテナ女神はアテナイの守り神だ。アクロポリスに配置されている建築は、プロピュライアから上がってきた人々の目に、すべての建物が影にならずに見えるよう計算された位置にあるらしい。

戦いと知恵の女神アテナ
パルテノン神殿
パルテノン神殿上部

紀元前5世紀中頃、ペルシャ軍との戦いの勝利を讃えるために建設されたパルテノン神殿、中には当初ここにも戦いと知恵の女神アテナの像があったという。12mもの巨大な像で、大理石に金箔で輝いていた。ミニチュアのアテナ女神像や神殿上部の彫刻などは近くにあるアクロポリス博物館にあって、ほかにも多くの出土品が大英博物館に残されている。

余談だか、このパルテノンのレプリカがアメリカ、テネシー州ナッシュビルにある。内部には黄金のアテネ像まであってオリジナルと同じサイズで作られている。一度行ってみて、パルテノンの中に入ってみたい。

エレクティオン神殿

次に目に入るのが左手にあるエレクティオン神殿で、女性の像が柱になっている珍しい建築。アテナ女神が祀られていた。毎年アテナの誕生日とされる7月中旬に、女神へ聖衣の奉献をするというお祭り、パナテナイア祭、があって供物を奉献するための大行列がアテナイの街を通ってこのエレクティオン神殿までやってきた。音楽も競技会もあって、たいそう賑やかだっただろう。4年に一度はこのお祭りが大掛かりになって、大パナテナイア祭となった。この様子がパルテノン神殿の建物上部に当たるフリーズといわれる部分の彫刻になっていて、それらはアクロポリス博物館に展示されている。本物のほとんどは大英博物館らしいけど。

エレクティオン神殿
エレクティオン神殿のカリアティード

エレクティオン神殿のこの女性像の柱はカリアティードと呼ばれていて、ここにあるのはレプリカで、本物のうち5本はアクロポリス博物館にあって1本は大英博物館にあるそう。カリアティードの語源については諸説あって研究の余地があるけど、この珍しい建築は一度見たら忘れられない。
エレクティオンという名前はギリシャ神話に登場するアテネの王エリクトニオスからとったものだそうだ。

帰りはまたプロピュライアに戻って階段を降りていくのだが、アテナ・ニケ神殿の横から地上を望むと南西の遠方に海が見える。クルーズ船がいっぱい寄港する有名なピレウス港あたりか。地中海クルーズの発着港だ。

こうして上から眺めていると、ここが神聖な場所で、アクロポリスができるずっと前からも聖域として何か波動の違う場所として崇められていたのだなとわかる。経験からわかること。その場所に行って初めてわかることだ。写真や動画で見ても、この高さにあるアクロポリスの実感は得られない。

アテネの街をアクロポリスから眺める



ドーリア式、イオニア式、コリント式

この3種類の柱の違いだけは知っておきたい。覚えやすいように超簡単にすると次のようになる。

  • ドーリア式は古代ギリシャ初期のもので、パルテノン神殿の柱に使われているもの。装飾がなくどっしりしている。

  • イオニア式は柱上部にグルグル渦巻き模様があってドーリア式より細めで女性的と言われている。エレクティオン神殿とアテナ・ニケ神殿の柱がこの様式だ

  • コリント式は古代ギリシャ最後に登場。イオニア式にもっと装飾を加えた感じで華麗といわれる。柱上部の紋様にアカンサスの葉が使われている。アカンサスはギリシャ国花になっている。


続く。。。
ギリシャ2週間  <アテネ その2>
ギリシャ2週間<デルフィ>


#一度は行きたいあの場所

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