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ギリシャ2週間 <デルフィ>

デルフィは古代の呼び方ではデルポイ。ほかにもデルファイとかデルフォイとかいろいろ言われているけど、ここではデルフィに統一しておく。

デルフィ遺跡へはアテネからの1日ツアーに参加した。英語を話すギリシャ人ガイドさんが案内してくれる、遺跡・博物館の入場券とランチ付きのバスツアーだ。朝8:30に集合してアテネに戻れるのは約10時間後。アテナからはバスで途中の休憩を入れて2時間半ぐらいかかる。修学旅行なのか、遺跡も博物館もギリシャ人の小学生や高校生がいっぱい来ていて混雑していた。彼らは歴史のことなんて興味なさそうだからガヤガヤと好き放題にしている。しかも、混んでいたからかランチは3時ごろになってしまった。もう少し早い時間に来るのが望ましいね。


デルフィの歴史

ここは古代ギリシャの人々にとって、神託を授かる重要な場所だった。紀元前6世紀が全盛だったらしい。アテネから200km近くあるし、しかも標高約500mとはいえ結構な山の中のこの地まで登ってくるのは簡単ではないと思うが、古代ギリシャ人にとってこの旅はそうでもなかったのか。東京から富士山の近くまでの距離だ。遠くに海がみえていたから船で来て、山を登ってきたのかもしれない、なんて当時の人達のことに思いを馳せる。

古代ギリシャ以前にもこの場所は信仰の中心になっていたという。

デルポイはオリュムポスの神々アポローンやアテーナーのあらわれるずっと以前に、もう信仰の中心地になっていた。発掘によって、ミューケーナイ時代から、住居や祭壇のあったことが判明した。むかしの神々、とくに大地と同格とされるミノア文化の大女神の名残りは、ギリシャ人の記憶につよく生きていたらしい。

「ギリシャの神託」ロベール・フラスリエール著、戸張智雄訳より

なるほど、昔からこの地は神聖なパワースポットだったのだろう。さらに同著では、シシリアのディオドロスという古代の歴史家が下記のようにかたっていると書かれている。

現に神殿の奥の院とよばれるところに、むかし大地の割れ目があった。一匹のやぎがその割れ目に近より、中をながめるたびに、おどろいたように跳びはね、それまで聞いたこともないような声でなきはじめる。牧の番人は、この珍事におどろき、なにごとかと割れ目に近よってみると、やぎにおこったのと同じことが、彼にもおこった。というのも、やぎたちも神にとりつかれた人間のようにふるまったのだ。その番人は未来のことを予言しはじめた。
(中略)
奇蹟ときいたからには、みんながためしてみたが、だれかが近よると、そのたびに神がかりになった。そんなわけで、神託の場所はふかしぎなものとかんがえられ、この神託は、大地女神のくだす神託とされた。しばらくの間は、神託をうかがう者たちは、みずから割れ目に近より、かわるがわる神がかりになった相手から神託をきいた。その後、多くの者が神がかりのまま割れ目にとびこみ、そうすると助かることはないので、土地の住民たちは、みんなの安全をはかって、一同のためにひとりの巫女をえらんでその場におき、かの女によって神託をうかがうことがよいと、思いついた。

「ギリシャの神託」ロベール・フラスリエール著、戸張智雄訳より

そんなふうにして、神託の場所があったところに、神話(ゼウスが黄金の鷲を2羽放ってその2羽が交差した場所が世界の中心という話)が加わって、神殿や宝庫、劇場や競技場が建設されて多くの人々で賑わったのだ。信者たちは感謝の念を込めて財力に応じていろいろな物を奉納した。それらの奉納品の像やなんかがあちこち設置されていて、豪華絢爛だったに違いない。

アレクサンドロス大王も遠征の前にデルフィの神託を受けている。ソクラテスも弟子達が困っているとピュティアにお伺いを立てに行くようにすすめた。プラトンもデルフィの神託を信頼していた。

三脚に座るピュティア

デルフィ遺跡写真ギャラリー

デルフィについては以前も書いたので、以下は自分が撮った写真のギャラリーにしよう。

デルフィ全体図、一番大きな建物がアポロン神殿
道中に見えるパルナッソス山、デルフィ遺跡はこの中腹にある
登ってくる途中の風景

手前に糸杉、下方にオリーブ畑が広がる美しい場所。左下に茶色く見える長方形は競技場跡。その先、下方に泉があって巫女と参拝者はそこで身を清めてから登ってくる。競技場では4年に一度のピュティア祭が行われ、オリンピアの競技祭と同様に重要な競技祭となった。ピュティア祭では音楽や演劇、弁論の競技もあって神殿の上方に位置する劇場で開催された。アテナイだけでなく地中海沿岸のいろんな地方から人々が集まったのだ。

マラトンの戦いでの勝利を記念してアテナイ人より奉納された宝庫、1906年に復元されたもの
デルフィのアポロン神殿跡、紀元前4世紀のもの

このアポロン神殿の中に大地の割れ目があってガスが湧き出た。今はないが。そこが奥の院になっていて、ピュティアと呼ばれる巫女が三脚に座ってそのガスを吸い、ローレルの葉を噛んで、神がかりの状態になって放心状態で予言の言葉を伝えるのだ。神託を伺いにくる「信者」は、供物や料金を払って質問をする。今度の戦争に勝てるかどうかなど国家の問題だけでなく、結婚するべきか、金を貸してよいかなど個人的な内容もあったという。予言内容は叙事詩のようだったり叫び声だったりで、それを解釈するのは神官で、彼によって「信者」に伝えられるが、解釈は難しかっただろう。

アポロン神殿跡

アポロン神殿入り口、当時は「汝自身を知れ」という言葉があった

アポロン神殿入り口

大地のへそのレプリカ
デルフィのヘビ(頭部がヘビだった)の奉納物。本物はイスタンブールにあるらしい
今も使われる古代劇場
なんか書いてあるけど


デルフィ考古学博物館

隣接する考古学博物館で出土品を堪能できる。以下は自分の撮った写真のギャラリー。この博物館のウェブサイトでは3D ツアーもできるから楽しい。

ギリシャ神話に登場するアルゴスの双子

柱の上部に飾られていたスフィンクス
スフィンクス側面
アポロンの像と黄金の装飾(黒いのは焼けたため)
アポロンの双子の妹アルテミスの像と黄金の装飾(黒いのは焼けたため)
オンファロスと呼ばれる大地のへそ
御者ブロンズ像

最も有名な古代ギリシャ彫刻のひとつ。紀元前373年に大地震があったことで、この御者像は地中に埋まってしまい、そのため1896年にフランス人によって発掘されるまで無傷だった。ピュティア祭での戦車レースで優勝した御者の像。

御者、頭部
御者、頭部
御者、後ろ

大地に神酒を注ぐアポロンの皿

この絵ではアポロンは7弦のライアーを左手に持っており、右手はワインを大地に注ぐ。カラスはアポロンの使い。カラスが黒い色になったという神話もある。ライアーの胴体は当時はカメの甲羅だったそうで、この絵でも甲羅に見える。それを再現したものを販売しているお店がギリシャにあるのでいつか行ってみたい。

さらに、その隣には、なんと古代の歌が石に刻まれている楽譜らしきものも展示されている。これを解読している内容がハーバード大学のサイトにあったので、リンクしておく。英語のみ。神への讃歌らしい。ライアーで伴奏したとも書いてある。
余談だが古代ギリシャにはキタラという竪琴もあって、これは「ライアーがが職業用に変化したものである」そうだ。たぶんこれも当時ここで使われていただろう。「キタラ」はギターの語源になったそうだ。

石に刻まれた楽譜

この博物館での時間は本当に足りなかった。またゆっくりプライベートツアーで行ってみたい。

デルフィの現在の町、冬はスキーリゾート
デルフィの町の中
デルファイ近くの美しい光景

参照:

参考文献:
「ギリシャの神託」ロベール・フラスリエール著、戸張智雄訳 
1963年 白水社



続く。。。
ギリシャ2週間 <アテネ その1>
ギリシャ2週間 <アテネ その2>


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