価格の意識

こんにちは。仕事の関係で一箇所から動くことができないのでずっとパソコン触っているかおるです。

単純にじっと座っておくことができないのか、肩と腰が痛いです(笑)


今回は1ヶ月ほど前にあったことの振り返りをしていきます。

インターンシップから愛媛に帰ってきて今も続けているバイトの帰りに日本一周中とダンボールに書いている少年が道の端に座っていた。

気にはなっていたが、一度素通りした。しかし、時間を開けてからもう一度通ってもその少年はまだ座っていた。

これはチャンスだということで、声をかけにいった。そうすると少年はミサンガを作っていた。

ミサンガを売って日本一周の資金にしているということだ。しかし、そのミサンガには値段がついていない。

「いくらでもいいのでもらって言ってください。」

この時に思ったのは、言い値ってすごく難しいこと。

日頃は値段がついたものに対して、そのお金を払っていた。だから、そのミサンガどれくらいの価値なのかを瞬時に判断することができなかった。

もともとハンドメイドをしていたことがあって、道具を見て作っている過程を見てどれくらいの原価があるのかを見ることはできた。

しかし、その少年が時間を使って作ったことに対する価値を自分の判断軸で見ることができなかった。

この時に感じたのが、いかに日頃から他人の判断軸で生きているのかということだ。

他人が決めたことにYesかNoで答えているだけで、自分がそこに対する意味づけをする習慣が全くなかった。


偶然気になった人がいて声がかけたところからの学びができて本当に感謝しかない。

20歳で次はアメリカ横断をすると言っていた少年には今後も期待をするばかりだ。

その時に出会った千葉から愛媛にひとり旅にきていた女の子も愛媛の大学生でヒッチハイクをしている男の子にもその時がなければ出会うことができなかった。

やっぱり人との出会いは多くの学びがある。

だからこそ常に敬意を持ち学んで生きていく。その物事に価値を自分でつけていくことができるそんな人になると決めた1日になった。

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