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訪問看護の醍醐味②(在宅看取りに携わる幸せ)

訪問看護の醍醐味②の投稿が、①からだいぶ開いてしまった。
書きたいことが定まるのに時間がかかり、
結局なんだかとても長文になってしまったのだが、思いの丈を綴ったので、お時間が許せば是非読んでいただきたい。

 先日、久しぶりにご自宅看取りのご依頼を、受け、訪問開始から1ヶ月足らずでその利用者さんは、穏やかに亡くなられた。
90歳だった。一般的には大往生と言われる年齢に入るだろう。
昨今、人生100年時代と言われるだけあって、90歳まで生きるというのも、高齢者と日々関わっている私個人的には別段珍しくも無い。
だから今回の方も、大往生と言うよりも、むしろ平均的な年齢での旅立ちのように感じた。

その方は癌で亡くなられた。
発見された時にはすでに、あちこちに転移があり、いわゆる末期という状態だった。

そう診断された時、今後の予想される病状の進行や、予後、できうる治療や、緩和ケアについて病院から説明される。
そこで、最後の時をどこで過ごすかという選択を、本人や、家族がしていくのが一般的であると思う。

先日、ACP(アドバンスケアプランニング)の研修を受けた。
ACPとは、将来の人生をどのように生活をし、どのような医療や介護を受けて最期を迎えるかを計画して、ご自身の考えを心づもりとしてご家族や近しい人、医療やケアの担当者とあらかじめ表しておく取り組みのこと。
愛称として「人生会議」と呼ぶ。
環境や体調の変化により、繰り返して話し合いを行うプロセスでもある。

その研修で、グループワークをしたが、ACPについて地域ぐるみで取り組みはじめておられる所もあったが、まだまだ浸透していない所が多いようだった。

自分の最後に備えて
・最後はどのように迎えたいのか
・だれに手伝ってほしいのか
・どんな治療が受けたいのか受けたくないのか
等々
具体的に決めている人は、まだまだ少数なのが現状だ。

今回亡くなられたその利用者さんは、
亡くなる数ヶ月前まで普通に歩いて元気に生活されており、90歳ても大きなご病気もなく、介護認定も受けておられなかった。
そんな背景もあり、ACPなど全くされておられず、何も決まっていない状況だった。

その方は癌と診断され、わずか2か月ほどで亡くなられた。
ご本人は病気の告知は受けられていたが、予後についてはご家族の判断で、本人に告げられなかった。
生きる希望を無くして、ガックリと力を落としてしまわれるのを心配されてのご判断だ。
どこで最後を過ごすかということについては、状況を見ながら考え、家では無理だと思えば病院の緩和ケアに行くということで、その場、その場で状況を見つつの判断をすることになった。

私の印象としては、あまりに急な事に、ご家族の気持ちも、覚悟もまだ、ついてきていない様子だった。
癌末期という状態が、どういうことなのか、医師の説明の言葉の意味は通じていても、
府に落ちて芯から理解はできていないようだった。

特にその方の奥様は、もう長くなく近々亡くなるという状況について、ピンのきていない様子だった。

でも、そんな中でもそのご家族は
癌だと分かってからまだ動ける間に
最後の思い出にと、
家族で温泉旅行に行かれた。

また、体を動かすのが少し不自由になってきた時に介護用ベッドを購入され、これから始まる介護に備えられた。
ご家族としてできることはすぐにやろう!と、素早い対応でその方を支えられていた。
介護認定を受けた後であれば介護用ベッドを介護保険でレンタルできたので、そこは少し取り急いだ感はあるが、介護保険申請時に対応した市の担当の対応が遅く、その方の置かれている、急がなければならない現状の汲み取りが不十分であったことから、ご家族がしっかりと相談できなかった背景もある。
そこは、少し残念だ。

外部の支援の残念さはともかく、ご家族としては全力でできることをする!
そんな気持ちに溢れておられ、関わる私達も、全力で応援しなければ!と身の引き締まる思いだった。

いよいよ体を動かすことが、辛くなってこられた頃に、私達の訪問看護が導入になった。
その頃ご家族は不安がいっぱいで、
「こんなに動かないで、筋力がおちてしまわないか?」と心配されたり、食べることが出来なくなってきた時に、「こんなにたべないで大丈夫なのか?」と、熱心に栄養のつく食べものや筋力を保つための工夫などの質問されていた。

これまで、亡くなるまでにできる限りの事をしてあげたい!と頑張ってこられていた家族だったが、この段階が来て、それらの質問は、間もなく亡くなり行く人という視点が抜け落ちている、あるいは、認めていないように感じたが、家族とはそういうものなのだと思う。

私達看護師の立場から見れば、その過程は、ごく自然なことであり、亡くなる過程はそういうものだという認識が普通にできてしまうのだが、初めて死に行く人に向き合う人であれば、その反応が普通なのだ。
しばしば私達看護師は、そこを忘れがちなので、注意しなければいけない。

それを踏まえて訪問の時間には、
一つ一つ丁寧に質問にお答えし、
少しでも不安に寄り添い、軽くできるような指導、言葉かけを、訪問時にゆっくり行うようにした。

特に医療的な処置もない訪問だったので、
さもすれば体の調子だけを見てやることが終わってしまうのだが、
そこはあえて、ご家族や、ご本人様とゆっくり向き合えるケアを選択する。
私はそういう時は、四肢のアロマオイルを使ったマッサージをする。
足が冷えていれば、その前に足浴をして、温める。そこにリラックス系のアロマを少し垂らすのも、特別感が出て私は好きだ。
実は足よりもリラックスしていただけるのが、ハンドマッサージだ。
手で手を癒すケアは、極上の安心感と癒しをもたらすようで、一気に表情が緩むのがわかる。マッサージしているこちらも癒されるケアである。足よりも鼻に近いので、アロマの香りをよりしっかりと感じられるのもいい。

癒しのケアを行うと、ご本人はもちろんのこと、ご家族も嬉しそうにされる。
食べるも、動くもできなくなってきた時に、何かしてあげたかったご家族の気持ちも楽にするようだ。熱心なご家族は、それを見て真似て、私達がいないときにもしてさしあげようとされ、私のマッサージをよく見ておられた。
本当に愛されているご利用者様だなぁと思い、私達も暖かい気持ちになった。

そして、いよいよ意識もはっきりせず、一日中寝て過ごされるようになった時は、奥さまだけではなく、ご家族皆さんの戸惑いと、どうしたらいいのかわからない不安から、電話でご連絡があった。
電話があれば、その都度訪問して様子を見て
不安に答えるように対応した。

少し呼吸が荒くなって来た頃「とにかく医師に診てほしい」とご希望があった。

在宅診療で、緩和ケア(積極的な治療を必要としていない及び望まない)の方の場合、基本的に呼吸の状況に変化があったとしても、特に何もしない事が多い。
その時の段階にもよるが、もう意識がはっきりされないような状況であれば、呼吸の変化も、死へ向かう生理的な現象として、受け入れて、見守ったり、声をかけたり、擦ったり、家族ができる事をして、ともに最後の時間を過ごしていただく。
それでも見るに耐えないと、ご家族が希望されれば、酸素を導入してみたり、点滴など医療処置をしたり、痛みや苦しみを緩和するお薬を増やしたり、入院してがっつり医療監視下に入ってもらうということもある。
ただ、この段階でそれらをすることのリスクも説明し、意思の疎通の取れないご本人の代わりに、家族がそれを選択するのだ。
それらの説明をしてもなお、ご家族が希望されれば、やはり医師に指示をを受ける。
医師の指示を受けるということは、ご家族の安心になるようだ。
少し悔しいが、やはり要は医者なのだ。

私達看護師から医師へ状況を説明してみるが、やはり医師の指示は、現段階で何もすることは何もないので様子を見るように。ということだった。
とりあえず医師の指示がそうであったとお伝えした。

それを受けて、
そこからは息子さんを中心に、ご家族皆さんが腹を括られ、『家で最後まで看る』を決められた。


そうは決めても、呼吸が苦しそうだったり、意識ははっきりしないのに、唸るような声を出されたり、天を仰ぐように手をうごかされたりする姿を見るのは、その方を愛するご家族にとっては、非常に辛い。本当にこのまま何もできないのか、不安でいっぱいになる。

そこで私たち看護師は、
この段階の方は、苦しそうに見えるけれども、段々と呼吸機能や、心臓が弱っていく段階の体の反応なので、実際は見た目ほど苦しんではいないと説明し、ご家族の不安がすこしでも軽くなるように配慮する。
しかし、実際に自分がその段階を経験した事があるわけでは無いので、説明している私達にもそんな確証は無い。ただ、そのようなデータ上の知識があるだけだ。
だけれども、私たちが一緒になって狼狽えてはいけない。

私が新人ナースに看取りの看護で大事な事として伝えているのは、
『ご家族に不安を与えないこと』
に尽きる。

ナースの資格があるからといって、始めから全て出来るわけでも、解っているわけではない。
経験と、自己研鑽により、少しずつ自信をつけて、本当にお役に立てる看護師に育っていくのだ。
だから、始めての事には自信がないのは仕方がないし、どんな事にも『始めて』はついてくるのだから、『自信が無い』の壁には、度々遭遇する。
特に訪問看護では、専門科が無いところが殆どで、家で療養する人全般が対象になる。
中には精神科特化や、小児特化の訪問看護ステーションもあるが、多くは何でも屋だ。
病棟で内科で働いていると、外科の事はわからない。
特に、特殊な産婦人科や、整形外科などで働いていると、本当にその専門には詳しくなるが、その他の看護はわからない。
病棟を何年経験してきたからといっても
訪問看護師はオールラウンダーなので、初めてにぶつかる事が多いのだ。
しかも、お一人お一人の家庭によって
療養する環境も異なるので、疾患が同じだからといって、同じ看護は当てはまらない。

だから、訪問看護は、出会う利用者様お一人お一人が始めてで、1人出会うごとに学び、成長し、幅が広がる仕事なのだ。

私はそこに魅了されて、14年もこの仕事を続けている。

始めての事は、怖い。
でも、始めての事は面白い。
面白がって怖いに立ち向かった時、
人は成長するのだ。

その怖いはつきものなのだが、それを利用者や、ご家族に見せてはいけない。

特に人生の締めくくり、看取りの時
一番不安なのは、何の予備知識もないご家族や、ご本人なのだ。

私は訪問看護師は、本当は怖くて自信が無くても、
「大丈夫!私に任せて!」
という風に見せる必要がある。
たとえ、それがはったりであっても、
その場はそれでいい。

はったりを、はったりのままにせず、
すぐに本物にするための知識を習得し、
本物にすればいいのだ。
そうやって、お一人お一人に向き合う度に
私は成長してきた。

うちの新人さんたちにも、
そうやって成長していただきたい。

ただ、やはり
指導する立場として
崖からつき落とすだけでは
大怪我をさせて、再起不能にしてしまったり
大事な利用者様の最後の時を
後悔や、残念な気持ちにさせることは
避けなければならない。

決して崖から突き落としたりしません。

だから、訪問看護師としての初めての看とりには徹底的に付き合う。
たとえ、待機当番じゃなくても同行して、
ご家族への説明、医師への報告、死後の処置など私のすることを見て学んでもらうようにしている。

そうやって、一人づつ
在宅看取りができる看護師が
増えていけば、訪問看護師を長年続けてきた甲斐がある。
だから今回ももちろん、私は新人ナースにとことん付き合い、ご家族様は、利用者様に共に寄り添った。

そして、その利用者様は
数時間の呼吸の苦しそうに見える
ご家族の辛い時期はすぐに乗り越え
穏やかなお顔で
ご家族の皆さんに一通りお会いになり、
翌朝お孫さんが出かけるのを見送られたあと
静かに
早朝に天に旅立たれた。

「呼吸が止まっているように見えます」
と、電話があり、私も新人ナースとともに駆けつけ、主治医を呼び
死亡確認に立ち会った。

ご家族はもちろん悲しまれていたが
やりきって、納得されたように見え
そして、とても落ち着いておられた。

死亡確認後は、エンゼルケア(死後の処置)を行う。ご自宅で、訪問看護師が行うエンゼルケアは、特別なものは用いず、家にあるもので、簡単なメイク、必要に応じて鼻や口、肛門などに綿詰めをするくらいだ。
私達看護師は、まずオムツの中を綺麗にし、点滴や、管の類いの医療処置があれば、そのの後片付けをする。
ご家族が見て、つらくなるような、痛そうだったり、恥ずかしそうだったりすることは、ご家族は少し席をはずしていただいて、私達だけでさっと済ませる。

そして、家族とともに体を拭き、
着せたいご希望の服に着替えていただく。
その方の奥さまがご用意されていたのは、
旅行にご夫婦で行かれた時に、よく着ておられた服だった。
ご夫婦で、沢山旅行をされたそうで、部屋には旅行先での思い出の品々が多く飾られていた。
しっかりした外出着一式で、
下着から、ズボン下、靴下、スラックス、
ネルシャツ、セーター、ジャンバー
スラックスと、ジャンバーのポケットには、それぞれタオルハンカチまで入っていて、
正に、旅に出かける格好だった。

着替えの様子も、ご家族に見守られ、
最後にお顔の血色を整えるメイクを少し施し
旅立ちの準備が完了した。
とても穏やかな表情に整い
ご家族の皆様の悲しみの中にも、少し笑顔が見られた。

あとは、亡骸が傷んでしまわないように、
お部屋の暖房は切っておくようにお話しし、
胸の上にアイスノンを置いて
私達は失礼した。


ほんの数日の訪問看護だったが
とても貴重な経験を、新人ナースたちと共にさせていただいた。

家族に見守られる中、住み慣れた我が家で
穏やかな最後を迎えられたその時間を
共に見守り支えられたことは、私達ナースにとっても幸せな事だ。

どこで、誰と、どんな最後を迎えようと
正解などなく、どこであろうと、本人と家族が後悔無ければそれでいいと思う。

ただ、後悔は無くても、本当はこうしたかったんだけどなぁという妥協は、多くの人にあるのではないかと思う。

家で最後を迎えるというのは、家族の覚悟と協力が必要なのが現状だ。
そうでなければ、それこそ冒頭で述べた
ACPのような事をしっかりと元気なうちにしておき、「一人でも、介護や医療サービスを利用して家で死ぬ」と、本人が覚悟を決め、計画しておかないと難しい。

ACPがまだまだ浸透していない現状、このような家族での看とりに立ち会える機会は、
少なくとも私の暮らす地域では、多いとは言えないので、今回の在宅看とりに関わることが出来たのは、本当にありがたいことだったと思う。

何よりも嬉しかったのは、今回の訪問を通して
新人ナース達皆が、
「家で亡くなるっていいですね」
と言ってくれたことだ。
そして、またこういったケースの依頼があったら、是非やりたい!とも話してくれた。
24時間、朝、夜関係なく呼び出されてしまう訪問看護。
その中でも、特にターミナル期(看とり期)はその頻度が高くなるにも関わらず、そんな風に思ってくれたことは、管理者として、そして長年訪問看護に好きで携わってきた私として、本当に嬉しかった。

しかし訪問看護をやりたいという看護師さんは、まだまだ少数なようで、決して需要に対して足りているとは言えない。
在宅診療をしてくれる医師にいたっては、もっと深刻だ。
訪問介護を希望する介護職も、少ない。

これらの充足がされないと、
『住み慣れた我が家で最後まで暮らす』が叶いやすい世の中にはなっていけない。

まずは、『住み慣れた我が家で最後まで暮らす』ことの、魅力と課題が明確になり、
多くの人に興味関心をもってもらえることが必要なのだと思う。

私はこれから、そのために
noteに投稿したり
在宅看護や、介護の相談に乗ったり
高齢になると起こりうることや、必要な看護や介護について、発信する活動をしていこうと思っている。

微力ながら。

やるぞ~!!


さて、今日のお話しからイメージされるアロマは、『カモミール』
カモミールにはいくつか種類がありますが、今回イメージするのは「ローマンカモミール」
ハーブティーのカモミールティーに使われる、ほのかなリンゴの香りの精油です。
神経をリラックスさせ、慢性的な緊張を和らげます。
心理的な効果としては、頑なな期待感を手放し、自己の限界を穏やかに認め、人々の支援をより楽に受け入れるようにします。
優しく協力して支える家族のイメージの精油です。

今回のお話しのイメージのアロマ


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